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仙台高等裁判所 昭和61年(ネ)204号 判決 1995年12月11日

控訴人

中井あい

中井淑子

中井俊一

中井隆子

右四名訴訟代理人弁護士

青木正芳

石神均

水谷英夫

被控訴人

右代表者法務大臣

宮澤弘

右指定代理人

山下隆志

外五名

主文

一  原判決中控訴人中井淑子、同中井俊一、同中井隆子に関する部分を次のとおり変更する。

被控訴人は控訴人中井淑子、同中井俊一、同中井隆子各自に対し、四五九万四七五六円及びこれに対する昭和五〇年四月一日から完済まで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

控訴人中井淑子、同中井俊一、同中井隆子のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は、第一、二審を通じ、被控訴人と控訴人中井淑子、同中井俊一、同中井隆子との間に生じた部分は、これを三分し、その一を被控訴人の負担とし、その余を控訴人中井淑子、同中井俊一、同中井隆子の負担とする。

二  控訴人中井あいの控訴を棄却する。

控訴人中井あいの控訴費用は、同控訴人の負担とする。

三  この判決は控訴人中井淑子、同中井俊一、同中井隆子の勝訴部分に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  申立

控訴人らは、「原判決を取消す。被控訴人は控訴人中井あいに対し金三六六一万八一〇九円、同中井淑子、同中井俊一、同中井隆子に対し各金一一六三万二八七六円及び右各金員に対する昭和五〇年四月一日から各完済まで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決及び仮執行の宣言を求めた。なお、当審において、控訴人中井あいを除く控訴人らは、それぞれ請求を拡張し、控訴人中井あいは請求を一部減縮した。

被控訴人は「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人らの負担とする。」との判決及び担保を条件とする仮執行の免脱宣言を求めた。

第二  事案の概要

昭和五〇年三月二七日、当時東北大学金属材料研究所助手であった中井淳(以下「淳」という)は、秋田県由利郡岩城町大字勝手中島所在の同研究所附属道川爆縮極強磁場実験所(以下「本件実験所」という)において、同研究所教授でかつ右実験所長を兼ねる中川康昭(以下「中川教授」という)の指導のもとに、電気雷管による火薬爆発を利用した極強磁場下におけるゼーマン効果の磁気分光学的実験(以下「本件実験」という)を行うべく、準備作業の一つとして、同大学助手後藤恒昭(以下「後藤助手」という)のゼーマン効果用トリガーパルスのタイミング調整作業と並行して、爆発室内で円筒型爆縮セットの設置位置調整作業(以下「位置調整作業」という)をしていたところ、右セットに充填されている爆薬が突然爆発(以下「本件爆発」という)し、その結果顔面挫砕骨折により即死した(以下「本件事故」という)。

本件は、淳の母、兄妹らである控訴人らが、淳の死亡及び本件事故後死亡した淳の父中井隆治を被相続人とする再転相続により取得した損害賠償請求権に基づいて、被控訴人に対し、本件事故の原因は電気雷管脚線と起爆用ケーブルが偶然接触したことにより生じたストリーマー放電(火花放電の初期の段階をいい、それが反対電極つまり本件の場合は電気雷管の管体に達すれば火花放電そのものになる)であるとして、被控訴人国(以下においては、単に「被控訴人」又は「国」ともいうことがある)の安全配慮義務違反或いはこれと選択的に中川教授らに過失があったとして使用者責任若しくは国家賠償法一条一項に基づく責任を主張して、総額七一五一万円余りの損害賠償を求める事案である。なお、控訴人らは当審において国家賠償法二条一項所定の営造物の瑕疵による責任追及の主張を撤回した。

一  前提となる事実

次の事実は当事者間に争いがない。

1  当事者

原判決第二の一1のとおり(同判決二枚目裏六行目から同末行まで)である。但し、中井隆治の死亡の日時等は甲第五号証によりこれを認める。

2  本件実験の概要

(一) 当時の人的・物的設備の概要

同第二の三1(一)のとおり(同判決一八枚目表二行目から同二〇枚目表四行目まで)である。

(二) 本件実験の内容と使用装置の概要

次に補正するほか、同第二の三1(二)のとおり(同判決二〇枚目表六行目から同二五枚目表四行目まで)である。

(1) 同判決二二枚目表四行目の「放電状態」を「放電現象」に、同二四枚目表初行の「磁場計測用電圧」を「磁場計測用電圧の発生」にそれぞれ改める。

(2) 同面四行目の「一斉に作動させることが必要不可欠である。」の次に「但し、厳密にいえば、この初期磁場発生装置、電気雷管起爆装置、ゼーマン効果発光電源装置及び磁場計測装置は、この順に順次極く僅かづつのタイミングを遅らせたりしながら作動させることが要求され、そのために相互の指令パルス間においてマイクロセコンドの精度で遅延時間の調整を行うタイミング調整作業を行っていた(当審証人庄野安彦の証言)。」を加える。

(3) 同面八行目の「右各装置が一斉に」を「右各装置の各イグナイトロン点弧用トリガーパルス発生器及び磁場計測装置のシンクロスコープが右の時間調整のもとに」に改める。

3  本件事故の発生

(一) 本件実験のための設備及び実験設備間の結線の概略は、原判決別紙一記載のとおりである。以下、爆発室及び観測室とはこの記載にある本件実験所内の各室をいう。

(二) 淳は爆発室内において、観測室内の本多直樹(当時東北大学大学院生、以下「本多」という)と双方の見通しが全くきかないためインターホンで連絡をとりながら、円筒型爆縮セットの位置調整作業を行っていた。その最中に本件爆発が発生したが、その時、淳の右作業と並行して後藤助手はゼーマン効果用トリガーパルスのタイミング調整作業を行っていた。

(三) 本件実験において爆薬が爆発するためには、次の①ないし⑤の条件が同時に整うことが必要である。

① 起爆用コンデンサーバンクに二〇〇〇ボルト(二キロボルト、以下キロボルトを「KV」と略記する)以上充電されていること。

② トリガーパルス発生回路とイグナイトロンが接続されていること。

③ 安全短絡スイッチがオフつまり起爆側になっていること。

④ 電気雷管脚線と起爆用ケーブルが結線(以下、断らないかぎり、この二つの線を結ぶことを「結線」という)されていること。

但し、この結線以外の接触等によっても起爆し得るかについては、後記のとおり争いがある。

⑤ イグナイトロンにトリガーパルスが入力されること。

(四) 本件爆発の際には、前項の爆発条件のうち①ないし③及び⑤の条件は整っていた(なお、右①と⑤の条件は乙第一号証の二により整っていたことが明らかである)。

二  本件の中心的争点

本件での主要な問題点は、イ 本件事故の発生原因、ロ 被控訴人に安全配慮義務違反があるか、ハ 中川教授らの過失の有無ひいては被控訴人はこれに基づく使用者責任若しくは国家賠償法一条一項の責任を負うか、ニ 控訴人らの被った損害額はいくらか、ホ 過失相殺の当否・割合である。双方の主張は次のとおりである。

(控訴人らの主張)

1 本件事故の発生原因

(一) 本件事故は、爆発条件のうち右④の結線がされていなかったにもかかわらず、起爆用ケーブルのマイナス側と電気雷管の金属管体とを結ぶ回路が形成され、これにより生じた火花放電の一種であるストリーマー放電により爆発したために生じたのである。すなわち、電気雷管脚線と起爆用ケーブルのプラス側が接触し、かつ、右ケーブルのマイナス側が爆発室内にあった鉄アングル架台や人体等を介して本控訴審判決添付の別紙(以下、本控訴審判決添付のそれは、「別紙」と略記する)一、二図記載のとおりアースされた。まず、プラス側の接触については、電気雷管脚線の長さが約五〇センチメートルなので、実験台架台下まで伸びている起爆用ケーブルと偶然接触することが十分起こり得るし、次にマイナス側のアースによる回路形成は、本件事故当時淳が位置調整を行うため爆縮セットを素手で保持している最中であったので、淳の身体等を介してアースされさえすれば、起爆用ケーブルのマイナス側はコンデンサーを通じて初めからアースされているので、これにより前記回路が形成されたのである。一方、本件実験に使用された電気雷管には耐暴爆用装置、つまり電気雷管脚線に電位が与えられた場合に、電気雷管の金属管体と電橋用白金線とをほぼ同電位に保つことにより、金属管体の内部に充填されている点火薬の内部を貫通するストリーマー放電などの発生を抑制することで暴発を防止する装置が施されていなかった。そのため、起爆用ケーブルのプラス側と電気雷管脚線が接触して右電橋用白金線に電圧が印加(技術用語であり、電気回路の端子間に電源からの電流が流れることを意味する)された際、右電橋と電気雷管の金属管体との間に電位差が生じ、これにより右両者間にストリーマー放電が発生し、この放電エネルギーにより点火薬が爆発したのである。

なお、本件電気雷管がストリーマー放電により起爆し得ることについて述べると、まず、ペンスリットが火花放電により爆轟することは実験により論証されており、その最小エネルギー値は約0.25ジュールである。仮に本件コンデンサーバンクの電圧が被控訴人主張のとおり四KVであったとすると、起爆電源である右バンクに蓄積されている静電気エネルギーは三ニジュールで、電気雷管内にストリーマー放電により生じるエネルギー値は0.49ジュールと算出されるから、爆轟に必要な右最小エネルギー値を十分に超えるものである。さらに、本件コンデンサーバンクの電圧が一六KVである場合には、起爆電源に蓄積されている静電気エネルギーはこれより一六倍となるから、爆轟の条件をより一層満足させるものである。また、ストリーマー放電による電子エネルギーは少なくとも摂氏一万度相当以上であり、高電圧火花放電においては放電開始時に抵抗での電圧降下は発生しないので、コンデンサーに充電された全部の電圧が電極間の印加電圧となるため、ストリーマー放電により発生するエネルギーは、導体に電流を流す場合に得られるエネルギーとは異なり、はるかに少ないエネルギーで爆発を起こすことが可能である。さらに、右偶然接触に伴って形成される回路において問題となる電気抵抗のうち、人体については、その内部を通じての通電ではなくその表面を通じての放電、つまり沿面放電が主であるため短絡状態にあり、その抵抗はほとんどなくなるので、火花放電により電気雷管を起爆させるに十分なエネルギーが発生するのである。

(二) 本件事故は、後藤助手がゼーマン効果用トリガーパルスのタイミング調整作業を行っていた午後一時五五分頃に発生したが、このとき前記爆発条件のうち①ないし③の条件は既に整っていた。④の条件も結線されてはいなかったが、前項のとおり淳の手、腕等を介して回路が事実上形成されることにより満たされていた。次に⑤の条件は、右のタイミング調整作業のため頻繁にパルスを発射していたので、これと同時に整う可能性が高かった。けだし、右のタイミング調整は、シンクロスコープの画面に映る二つの波形を比較しながら遅延時間の調整を行うものであるが、これらの波形を画面に作出するため頻繁にパルスを発射していたからである。

(三) 本件事故の原因は電気雷管脚線と起爆用ケーブルの結線であるか、或いは右脚線と右ケーブルのプラス側の偶然接触であるかのいずれかであるが、次の①ないし⑤の事情等に照らして後者により発生したものと推認すべきである。すなわち、

① 本件実験の起爆予定時間は午後二時二〇分頃であり、本件爆発の起こった午後一時五五分頃は未だ爆縮セットの位置調整作業の段階であるので、淳が結線する必要は全くなかった。

② 結線していたとすれば、爆発後も起爆用ケーブルに高い可能性で残存している筈の電気雷管脚線の結線部分が、プラス側及びマイナス側の二本とも残存していなかった。

③ 仮に結線していたとすれば、トリガーパルス以外の他の前記①ないし④の爆発条件は既に総て整っているから、最初に発射された右パルスにより直ちに爆発が生じ、それ以上調整する間はない筈であるのに、本件事故はタイミング調整作業のためにゼーマン効果用トリガーパルスが頻繁に発射されている最中に発生した。

④ 仮に本件爆発当時のコンデンサーバンクの充電電圧が被控訴人主張どおり四KVであったとすると、本件爆発は正常な結線状態下の爆発ではありえない。けだし、正常な結線状態下の爆発であれば、四KVの電荷は爆発により完全に放出されてコンデンサーバンクの電圧は一旦ゼロになり、そこから再び充電されることになるが、この時の充電時定数から求められるゼロからの再充電時間は約四〇秒であるのに、本件においては本件爆発の約一〇秒後には右電圧が四KVであったことが確認されている。このように極く短時間で右電圧が元に回復したのは、本件爆発によっては電荷が完全に放出されなかった、つまり正常な結線状態下における爆発ではなかったことに外ならないのである。

⑤ 結線されていた事実を直接証明する根拠は何もない。

2 安全配慮義務違反

被控訴人国は国家公務員に対し、国が公務遂行のために設置すべき場所、施設若しくは器具等の設置管理又は公務員が国若しくは上司の指示のもとに遂行する公務の管理に当って、公務員の生命及び健康等を危険から保護するよう配慮すべき義務いわゆる安全配慮義務を負っている。そして、安全配慮義務の具体的内容は、公務員の職種、地位及び安全配慮義務が問題となる具体的状況等に応じて定まるものである。

(一) 安全配慮義務の履行補助者

国の安全配慮義務の確保は、通常現場の責任者等を使用者の履行補助者として、その者を介して行われ、そのことは本件実験のような公務の遂行が高度に専門的、技術的でかつ実験者の自主性が尊重されるときも同じである。

本件の履行補助者は中川教授である。すなわち、大学において教授は予算の執行、人事、学位審査の決定権限をもっている上、本件実験は中川教授をリーダーとする超強磁場下におけるゼーマン効果を実験目的とした特定のプロジェクト研究である。中川教授は昭和四七年に文部省に対して提出された概算要求の原案作成を行い、予算措置を得て本件実験所を設置し、右所長に就任していたので、右所長及びプロジェクト研究の責任者としての立場も併せ、その両面から予算、研究人員、施設管理並びに安全管理一切の責任を負っていたのみならず、右プロジェクト研究の実験テーマ、実験日程及び研究参加者の決定等を行っていた。さらに、中川教授は本件プロジェクト研究に際しても実験準備を指示し、本件実験においても起爆の指示、秒読み、ドアの確認、スイッチの確認等を担当していた。してみると、施設管理、人事、研究遂行等の各過程において淳は中川教授と対等の立場にはなかったのである。

また、職務の遂行に関する生命、身体の安全確保のため、法は、使用者に対し安全管理者等の安全管理責任者を置くことを義務づけている(労働安全衛生法第一一条、人事院規則一〇―四第六条等)ほか、火薬類は極めて危険性の高いものであるから、その取扱者を火薬類取締法等の法規を熟知、順守し、かつ取扱の技術を備えている者に限定している(同規則第三〇条、別表第五表十一号)。したがって、火薬の取扱に際しては、実際の作業員全員が火薬類取扱保安責任免許を備えていることが望ましく、仮にそうでない場合には、これを所持していない者は、免許所持者の指揮監督のもとに作業を行わなければならず、この場合免許等所持者は、火薬類の取扱業務においては、同時に国の安全管理者としての職務を遂行することになる。本件実験においては、実験従事者のうち中川教授及び後藤助手は、右免許所持者であったものの、淳と本多はそうではなかったので、この点からしても、中川教授は淳ら他の実験従事者に対し国の安全管理者として指揮監督する立場にあったのである。このように、中川教授は本件実験において右研究グループを指揮監督して実験を遂行していたので、国が負うべき安全配慮義務の履行補助者として同グループの構成員の安全確保を図るべき義務を負っていたのである。

(二) 安全配慮義務の具体的内容

本件実験で使用されていた電気雷管を用いた爆発装置については、結線しなくても起爆するという例があることが知られていたから、淳ら実験従事者の安全確保を図るため、被控訴人は火薬類取締法施行規則等に従って、次のとおり安全装置を設置し、かつ作業手順を厳守すべきであった。被控訴人がこの義務の一つでも尽くしてさえいれば、本件事故は防止できたのである。

(1) インターロックシステム若しくは代替装置の設置

本件実験所は恒常的な設備であるから、爆発室の入口に錠を施し、その錠と電気雷管起爆装置の電源スイッチを同一のものにするか、或いはキーホルダーで一緒にするなどして、爆発室に入室する時は必ず電源スイッチを切らなければならないようにするとともに、電源スイッチを切った時は電源に電荷が蓄えられていないようにする、いわゆるインターロックシステムを採用するか、次善の方策として結線担当者が電気雷管起爆用充電スイッチを携行すべきであった(火薬類取締法施行規則(昭和六〇年六月通商産業省令第二二号による改正前のもの、以下同じ)五四条八号)。

(2) 赤ランプ等の警報装置の設置

淳らは高度な専門知識を有する者であるものの、火薬の取扱については専門家ではないから、安全短絡スイッチが起爆側になっている間、自動的に作動する赤ランプ、ブザー等の警報装置を設置すべきであった(同規則五四条四号)。

(3) 作業手順の厳守

次のような作業手順を定めるとともにこれを厳守すべきである。

① 作業開始に当って、電気雷管起爆装置電源及びコンデンサーバンク充電がオフの状態にあることを確認する(同規則五三条一〇号)。

② 安全短絡スイッチがオン(短絡側)になっていることを爆発室入室前に確認する(同規則五三条一〇号)。

③ 更に後藤助手によるゼーマン効果用トリガーパルス等のタイミング調整作業が事実上電気雷管起爆装置の操作に当たり、それが爆発の危険に繋がることから、かかる調整作業と淳による爆発室内での作業を並行して行わない(同規則五三条六の二)。

④ 電気雷管起爆装置の電源及び充電スイッチを切るべき責任者を確定する。

⑤ 本件実験全体の監督者を中川教授と定め、同人が右各スイッチの確認作業を担当する。

(4) 本件電気雷管に耐暴爆用装置を施す。

本件電気雷管は高電圧を用いるためストリーマー放電により暴発する危険があるので、これを避けるため本件電気雷管に耐静電気装置を施すべきであった。

(三) 安全配慮義務の懈怠

右義務はいずれも比較的容易に実現でき、かつ時間、費用、実験に与える影響等本件実験を行うにつき支障を生じさせることはなく、中川教授はこれらを採用するだけの権限を有していた。また、安全確保に関する工学技術水準については、当時いわゆるインターロックシステムは既に重油の自動燃焼制御装置や赤外線プレス安全機等に採用され、危険従事者の安全確保を図る手段として知られていた。また、安全工学の見地からは、人間が、「不注意であっても」、「知らないために誤っても」、「動作に欠陥があっても」、「正しい動作を失敗しても」、なおかつ安全な結果が得られるようにいわゆるフェイルセーフ機能、つまり複数の安全装置を機器に備え付ける必要があるとされ、本件当時、赤ランプやブザー等の警報装置は広く知られており、常識とされていたのである。

しかるに、被控訴人がインターロックシステム若しくは赤ランプ、ブザー等の警報装置を設置せず、かつ右作業手順を厳守させることを怠ったため、その結果本件事故が発生したのである。してみれば、本件事故は、被控訴人が淳の職務の安全な遂行を妨げる危険等を排除し得るに足りる人的物的諸条件すら整えなかったこと、すなわち安全配慮義務に違反したことに起因するのは明らかである。

(四) 被控訴人の主張に対する反論

被控訴人は、中川研究グループの実験は大学における学問研究の一環としてなされたので、学問の自由の保障があるために被控訴人国の支配管理は及んでおらず、支配管理を前提とする信義則上の義務である安全配慮義務は、その適用の前提を欠いている旨主張している。しかしながら、国の安全配慮義務は、任用関係にある公務員の生命・身体・財産に対する侵害の保護を内容とした義務であるから、支配管理の有無によって当然にその内容が確定される事柄ではなく、また、管理支配性を具体的に当てはめると、その範囲は必ずしも明確とはいえないから、支配管理を安全配慮義務を適用するための前提条件とすることは、妥当ではない。

また、仮にこれが前提条件であったとしても、本件実験については国の支配管理は及んでいる。けだし、国は公務員を公務に従事させる際、勤務場所、施設、器具等の国の物的設備に対しては施設管理権を行使し、また当該公務員に対しては人事権に基づいて指揮命令権を行使し、これに対応して公務員は職務専念義務を負っており(国家公務員法一〇一条)、これらの義務に違反した場合、当該公務員は懲戒等の対象とされるのである(同法八二条)。このような支配管理に対応して、国は人的及び物的環境から生じうべき危険の防止につき、人事院規則等に詳細な規定をおき、更に信義則上の義務として安全配慮義務を負担しているのである。したがって公務員が通常の公務を遂行することは、国の支配管理に服していることを意味する。これを本件についてみれば、淳は国家公務員の身分を有し、かつ公務の遂行として本件実験を行っていたから、国の支配管理は当然及んでいたのである。本件事故が公務災害と認定されて遺族への損害賠償の支払がなされ、かつ本件事故の責任者であった中川教授が懲戒処分に付されたのは、被控訴人が本件実験について施設管理権、職務専念義務、懲戒権を有し、支配管理を及ぼしていたことの何よりの証左である。

次に、被控訴人は、実験の際の安全対策の選択についても学問の自由の対象となり、研究者の自主的決定に委ねられているから、本件事故についても中川教授の選択した安全対策は研究者の第一次的判断に基づく合理的裁量内の事柄であって、この判断が尊重されるべきである旨主張している。しかしながら、右主張は、大学における学問の自由を不当に安全対策の分野にまで拡張し、かつ本件事故が極めて杜撰な安全対策によって発生したことを無視するものであって、全くの謬見である。けだし、実験研究に際しての安全対策は、実験研究従事者やその他の第三者の生命、身体の安全確保が最優先されるべきであり、その範囲内で国が各種の規制をなすのは、当然である。本件実験で用いられた火薬類の爆発物については、火薬類取締法及びその関連諸法規によって、消費等も含めその取扱が厳重かつ詳細に規制されているのであり、本件実験もかかる規制のもとに行われていた。のみならず、本件事故は実験全体の安全監督者である中川教授自身の安全確保に関する法令、専門技術水準を無視した極めて杜撰な安全対策によって発生した、つまり、安全対策の判断が合理的裁量の範囲を著しく逸脱する場合に該当し、その採用された安全対策が、その当時の同種の実験を行う各研究実験場における水準に比して、著しく非常識なものであるから、被控訴人主張の見解に立っても責任を免れないのである。

3 使用者責任若しくは国家賠償法一条一項による責任

人事院規則一二条に基づき、東北大学では、職員健康安全管理規定を定め、本件実験所の所属する金属材料研究所の安全管理者として、経理課長を指名していた。本件事故は、被控訴人のいずれも被用者である右経理課長及び上司である金属研究所長、火薬類取扱保安責任者で本件実験所長であるとともに主任教授であった中川教授において、自ら或いは共同で尽くすべき右2(三)のとおり安全確保上の右欠陥を放置し、また実験に際して厳守すべき作業手順を怠った結果、発生したものである。したがって被控訴人は国家賠償法一条一項又は民法七一五条の責任を負うべきである。

4 控訴人らの被った損害

(一) 葬儀費用

二〇九万一二〇〇円

その内訳は原判決一二枚目表七行目から同面末行までのとおりである。なお、控訴人中井あいが総て負担した。

(二) 逸失利益

七五二四万五八八八円

内訳

賃金 六四二七万二一七〇円

退職手当 六七六万四八一八円

退職年金 四二〇万八九〇〇円

その請求の根拠は原判決第二の一4(二)(1)(同一二枚目裏三行目から同一三枚目表二行目まで、この事実は当事者間に争いがない)、同4(二)(2)(同一三枚目表三行目から同丁裏四行目まで)のとおりである。但し、その計算の基礎資料を当審の口頭弁論終結時である平成七年六月二九日現在のものと差替えたこと等に伴い、同一三枚目裏初行の「昭和七一年四月」を「平成八年四月」に、同面三行目の「別紙逸失利益計算書」を「別紙三の逸失利益計算書」に、同面四行目の「金六八三九万四三九二円」を「金七五二四万五八八八円」にそれぞれ改める。

(三) 慰藉料 二〇〇〇万円

淳は死亡当時満三一歳であり、少壮有為の将来を嘱望されていた研究者であったから右金額が相当である。

(四) 損益相殺

控訴人中井あいは被控訴人から平成七年六月二九日までに次のとおり合計三二三〇万〇三四九円を受領した(この事実は、当事者間に争いがない)。

葬祭補償 三〇万二九四〇円

遺族補償年金二四五三万一三三七円

遺族特別給付金四六四万八一八八円

遺族特別援護金 一〇〇万円

遺族特別支給金 一〇〇万円

退職金 八一万七八八四円

なお、遺族補償年金及び遺族特別給付金は、いずれも平成七年六月二九日分までの合計である。

(五) 控訴人ら各自の損害額

淳の前記逸失利益及び慰藉料をまず控訴人中井あいと中井隆治が各二分の一づつ相続し、さらに右隆治の死亡により昭和五五年法五一号による改正前の法定相続分のとおり同人の相続分のうち三分の一を控訴人中井あいが、残りの三分の二をその外の控訴人らがそれぞれ平等に相続した。これにより結局、控訴人中井あいは三分の二を、その外の控訴人らが九分の一づつ相続した。次に控訴人中井あいについてはその葬儀費用、逸失利益につき損益相殺をするとともに、各自の弁護士費用をその請求額の約一割として求めた控訴人ら各自の損害額は次のとおりである。

(1) 控訴人中井あいにつき

葬儀費用 一七八万八二六〇円

逸失利益 一八一六万六五一六円

慰藉料 一三三三万三三三三円

小計 三三二八万八一〇九円

弁護士費用 三三三万円

合計 三六六一万八一〇九円

(2) 控訴人中井淑子、同中井俊一、同中井隆子各自につき

逸失利益 八三六万〇六五四円

慰藉料 二二二万二二二二円

小計 一〇五八万二八七六円

弁護士費用 一〇五万円

合計 一一六三万二八七六円

(被控訴人の主張)

1 本件事故の発生原因

控訴人らの主張の如くに偶然接触によりストリーマー放電が生じ、これにより本件事故が発生した可能性はないので、事故発生当時淳が誤って爆発条件④の結線をしたものと考えるしかない。その理由は以下のとおりである。

(一) ストリーマー放電により起爆しないことについて

ストリーマー放電とは、空気等の絶縁体に高電圧をかけると最初に発生する火花放電の前段階であり、時間の経過により絶縁破壊に達すると導電性ができてアーク放電に移行する現象である。ストリーマー放電のエネルギーは、アーク放電の一万分の一ないし一〇万分の一程度の微弱なものである。

一方、本件爆薬に用いたペンスリットは、五〇パーセントは結晶密度でスパーク起爆させるには、少なくとも一五〇アンペアの電流と毎秒3×10-6アンペアの立上がり速度が必要であるとされているので、この条件を満たすには、回路の抵抗が少ないことが前提となる。

本件電気雷管において電橋と管体との間に火花放電が生じた場合、そこに供給されるエネルギーは、電圧と電流の積を時間で積分した値に依存するので、控訴人ら主張の回路の場合、結局はその抵抗値によって左右されることになる。しかるに、右回路中にある雨合羽の抵抗だけでも約一二キロオームと非常に大きいので、仮に四KVの電圧がかかっても、右回路に流れる電流は微弱であり、雨合羽が絶縁破壊するか、雨合羽の表面で沿面フラッシュオーバが起こって大電流放電が発生しない限り、本件電気雷管を爆轟させるために十分なエネルギーを持つ電流が流れることはありえない。すなわち、仮にペンスリットを爆轟させるに必要なエネルギーが、黒田実験結果のとおり0.25ジュールであったとしても、右実験の抵抗値は0.55オームであり、本件回路の抵抗値は約一二キロオームであるので、比例計算により0.25ジュールのエネルギーを生じさせるためには、コンデンサーバンクにその二万倍に相当する五〇〇ジュールのエネルギーが蓄えられる必要があるのに、本件事故の際、右バンクに蓄えられていたのは三二ジュールしかないから、爆轟することはない。

なお、ストリーマー放電が長時間維持されれば、エネルギー総量が増大することが考えられるものの、その場合には高抵抗により、本件実験装置のイグナイトロンが0.5ないし0.8ミリセコンドという短時間で切れてしまうので、右放電が長時間維持されることはありえない。

(二) 偶然接触の可能性について

起爆用ケーブルの先端は、電気雷管脚線と数十センチメートルも離れた状態にあるので、これと偶然接触する可能性は殆どなく、しかも偶然接触した時に丁度イグナイトロンにトリガーパルスが入力されることが必要であるが、このような偶然が重なる可能性は、極めて低いのである。

(三) 控訴人ら主張の爆発原因(前記1(三)①ないし⑤)に対する反論

まず、右②の結線部分が残っていないとの点は、爆発後結線部分が残存しない確率も一ないし二割程度あった上、本件において回収できなかったのは、事故直後の混乱等のため、現場保存が十分になされなかったことと、この点に関する意識的な確認、調査が行われなかったことにあると考えられる。次に、右③のゼーマン効果用トリガーパルスのタイミング調整作業に着手してから本件爆発までに時間的間隔があったとの主張は、後藤助手が初期磁場用トリガーパルスの調整を行い、次いで電気雷管用パルスか、ゼーマン効果用トリガーパルスかのいずれかのタイミング調整作業を行っていたから、これらのタイミング調整作業に着手した時点から本件爆発まである程度の時間的間隔があるのは当然である。さらに、右④の充電時定数の主張については、後藤助手が本件爆発後見たのは、充電電圧を示すメーターではなく、スライダックの目盛りであった可能性があり、しかも本件爆発時点からメーターを見るまでの間が一〇秒以内であったという根拠は何もないから、右主張の前提である一〇秒以内に、充電電圧が四KVに回復した事実は、結局証明されていない。

したがって、控訴人らの右各主張の事由は、いずれも結線されていなかった事実を裏付ける根拠となるものではない。

(四) 以上のとおり、本件事故の原因が控訴人ら主張のストリーマー放電及び偶然接触であった可能性はないから、淳により誤って結線されていたことにあると考えざるを得ないのである。

2 安全配慮義務違反の主張に対する反論

安全配慮義務は、使用者が人的・物的環境を支配管理する一方、被用者は使用者の指示・命令に従って労働力を提供せざるを得ないことから、労働契約の付随義務として使用者が被用者に対し信義則上負う義務であるから、その範囲は使用者が現に支配管理し、被用者が使用者の指示・命令に従って労働力を提供する範囲に限定される。この限定は、安全配慮義務が履行補助者によって履行される場合も同じであり、したがって、使用者の支配管理する範囲外の履行補助者固有の注意義務違反は、使用者の安全配慮義務違反とならない(最高裁第二小法廷昭和五七年五月二七日判決・民集三七巻四号四七七頁)のである。

これを本件についてみると、国は中川研究グループに対して磁気物理学に関する研究を行うように指示したに止まり、具体的な研究内容・実験については、同グループの自主的判断に委ねられていたのである。すなわち、中川研究グループは、自主的判断により、研究室に配分される大学校費の範囲内で超強磁場及び衝撃波超高圧下における物性の研究を行うというテーマを選定して本件実験を行うことを決定し、これを実践していた。国は、中川研究グループに対して本件実験に関する研究を指示・命令したわけではなく、そもそも管理する立場にはなかったから、本件実験の遂行により同グループの構成員の生命・身体に危険を及ぼすことがあったとしても、この危険を予測して同人らの保護を配慮する立場にはなく、その義務もなかったのである。

(一) 履行補助者

右のとおり、国が右義務を負うことはないから、それ以上この義務の履行補助者を考える余地はなく、履行補助者についての控訴人らの主張は、その余の点について検討するまでもなく失当であるが、念のため、控訴人らの前記主張に対して反論すると、以下のとおりである。

控訴人らは中川教授を国の安全配慮義務の履行補助者であると主張するが、中川教授は、当時予算の配分、研究人員の配置等について国の履行補助者といえるような権限を有する立場にはなかったし、実験テーマ、実験日程、研究参加対象者等は、中川研究グループ内で協議の上、決定していたから、中川教授は、同グループの責任者的立場にあったとしても、個々の構成員に対して指示・命令し得るような管理者としての地位まで有していたものではなく、本件実験の遂行管理につき、被控訴人の履行補助者の立場になかったのである。

そもそも大学の研究者には憲法上学問の自由が保障されているから、中川教授が大学当局の履行補助者として管理権を行使し、実験の方法や手順を一方的に変更させることは、同人以外のグループ構成員の学問の自由を侵すことになる。中川研究グループにおいては、爆縮実験によって作り出された極端条件下でどのような研究をするかは、各構成員の主体性が尊重され、その自主的判断に任されていたのである。また、この研究は、起爆の方法又は手順によって爆縮の成果も必然的に左右されるから、国が実験の手段を一方的に規制すれば、中川研究グループの実験の目的そのものを阻害することになる。なお、助手である淳についても、研究者として尊重され、学問研究の自由を十分に保障されているほか、身分保障(教育公務員特例法五条一項)があり、予算も教授によって制限されるということはない。次に、本件実験所の設置に伴う国の安全配慮義務の内容は、実験のための構造上欠陥のない物的施設を整備したり、外部の者が無断で実験所内に立ち入らないように管理したりすることであるから、中川教授の本件実験所長としての地位に基づく、国の履行補助者として負っていた右義務も、この範囲に限られる。したがって、同実験所の個々の実験の内容、これに使用する各装置及び実験の手順等の決定は、研究者固有の注意義務の範囲内の事柄であり、国の安全配慮義務の範囲外のことなのである。

(二) 安全配慮義務の具体的内容

控訴人らの右主張は、要するに、安全配慮義務の履行補助者として中川教授らの過失をいうものであり、使用者責任の前提となる被用者の過失についての控訴人らの主張もこれと同じである。しかし、中川教授らに過失はない。

まず控訴人らが過失を問う被用者のうち、金属研究所長と同所経理課長はいずれも実験の内容に何ら関与していないから、控訴人ら主張の注意義務を負うことはない。けだし、東北大学金属材料研究所においては、個々の研究者の学問研究の自由を保障する見地から、具体的な実験の内容について指導監督することはなく、原則として研究者又は研究グループの自主的判断に委ねられていたからである。

次に中川教授は、中川研究グループの一員として本件実験のための各装置の設計・実験の手順・分担の決定等に直接関与していたが、その立場は、中川教授の他のメンバーと基本的に対等であり、中川教授一人が安全対策上の注意義務を負っていたということはできない。すなわち、各構成員は研究者として対等であって、中川教授が研究者としての経験が一番長かったというにすぎず、学生との関係における教授の地位等とは根本的に異なるものである。してみれば、中川教授に、中川研究グループの他の構成員を指導監督して万全の安全対策をとるように配慮すべき注意義務があったということはできず、仮に安全対策に何らかの瑕疵があったとすれば、その責任は淳を含めたグループ全員が負うべきものである。

なお、淳は爆縮実験の初期段階から本件事故までの約三年間、計二五サイクルの実験に参加し、実験方法の確立に寄与するとともに、分光流し撮りカメラを自作するなどゼーマン効果の実験において終始中心的な役割を果たしていたのであって、同実験についての理解度は同グループの他のメンバーよりもむしろ高かったのである。また、火薬類取扱保安責任者の免許は、中川教授と後藤助手は有し、淳は有していなかったが、同免許の有無によって注意義務の程度に軽重が生ずるものではない。けだし、そもそも右責任者の設置目的は火薬類の貯蔵や消費に関して、法令の要求する保安上の基準に適合するように指揮監督するためであり(火薬類取締法三〇条二項、三二条一項、同法施行規則七〇条の四)、かつその試験科目は、火薬類の貯蔵に関連する火薬類取締に関する法令及び一般火薬学であって、本件実験の安全対策の策定に直接役立つものではないからである。

(1) 中川研究グループの安全対策

この概略は次のとおりである。① 安全電気雷管を開発し、これにより電気雷管の脚線と起爆用ケーブルとを結線さえしなければ爆発しなくなったので、爆発のおそれがあるのは結線後起爆するまでの間であることを前提として、安全対策を立てればよいことになった、② 結線作業中の安全確保等のため、安全短絡スイッチを設置した、③ 結線作業は爆発の危険を伴うので、他の作業が総て終了した後に行うものとした、④ 結線作業直前に安全短絡スイッチが短絡側になっていること並びに起爆用及び充電スイッチがオフになっていることを、結線担当者自身が確認すべきものとする手順を定め、いわゆる一人責任体制を採用していた、⑤ 爆縮セットの電気雷管脚線の先端を撚り合わせておき、結線直前に撚り合わせをほどいて起爆用ケーブルに結線することにした。

右のとおり、中川研究グループにおいては、電気雷管の性能からして電気雷管脚線を起爆用ケーブルと結線しなければ爆発は起こり得ないという前提に立ち、自ら危険な作業を行う者が自らの手で安全確認を行うのが最も確実であるとの見地から、結線担当者自らが安全短絡スイッチ並びに起爆用及び充電スイッチの確認を行うという一人責任体制を採用した上、右確認の時期は、危険な状態になることが誰の目にも明らかな結線直前に行うとの手順を基本として、①ないし⑤のとおり安全対策を講じていたのであるから、何ら欠けるところはない。

(2) 本件実験に必要な安全対策の程度

控訴人らは、安全工学の立場を強調して爆縮セットの位置調整作業中に誤って結線することもあり得るとの考えに立って、万全の安全対策を講ずべき注意義務が中川教授らにあったかのように主張するが、大学等の研究機関で行われる実験においては、これに関与する者は高度の専門知識を有する専門家であるから、いわゆる危険の分配の原理により、安全対策を策定するに当っても、実験関与者の知識・経験に応じて容易に予測し得る危険は、自らの判断と責任において回避するものと期待して差支えない。本件実験は、いずれも理学博士の学位を有し、大学附属の研究組織において共同研究ないし個別研究を行うのに十分な学識・経験を有していると認められて文部教官に任用された高レベルの専門家集団によって行われ、グループの各構成員が実験の目的、方法、手順等の決定に参画し、実験装置のメカニズムや個々の実験手順の持つ意義について十分な理解を有していた点で、安全工学が想定している一般の作業現場等とは、関与者の質の点で本質的に異なっている。本件実験においては、前記のとおり、結線担当者自らが爆縮セットの位置調整作業終了後一旦観測室に戻り、安全短絡スイッチ並びに起爆用及び充電スイッチの確認をした上、再び爆発室に入室して、そこで初めて結線を行うものとするとの手順を定めており、この確認もしないまま位置調整作業中に結線することが爆発の危険を伴う極めて危険な行為であることは、実験を担当するグループの構成員全員にとって自明のことであった。したがって、右手順に違反し、位置調整作業中に誤って結線することまで想定した安全対策をとるべき注意義務はなかったのである。

なお、中川研究グループでは、本件事故後実験再開の前提となる新しい実験手順案を作成し、安全対策委員会に提出し、同委員会では特に安全工学的見地から十分な検討を加え、委員長草案(甲第三号証)を提出した。しかし、右草案は、本件事故が現に発生したことを前提に、本件実験を再開するための条件として考え得る極限の安全対策を講ずるという見地から策定されたものであって、本件事故前においても、これと同等の安全対策を講ずべき義務が中川教授らにあったということはできない。

(3) 中川教授らの過失の有無

本件事故は、淳が本件実験の右基本的手順に違反して、爆縮セットの位置調整作業前に、安全短絡スイッチ並びに起爆用及び充電スイッチの確認をしないまま結線をしたことによって発生したものと認むべきであり、中川教授を初めとする中川研究グループのメンバーの安全対策上ないし実験操作上の注意義務違反によって発生したものということはできない。以下、控訴人らの注意義務違反の主張に沿って反論する。

① インターロックシステムの採用

インターロックシステムは、原子力関係等の複雑かつ大規模な施設で採用されていたものの、少数の専門家集団によって行われる火薬類等による爆発実験において、当時このシステムを採用していた施設は我国にはなかったし、結線しない限り爆発しないことを前提とすると、結線担当者自ら結線前に安全短絡スイッチ並びに起爆用電源及び充電スイッチを確認するという手順で十分であり、この上更にインターロックシステムを設置する注意義務はない。次に、火薬類取締法施行規則五四条八号により結線担当者が電気雷管起爆用充電スイッチを携行する方策を採用するべきであったか否かであるが、右規定は工場や工事現場等を想定したものであって、研究機関における実験には直接適用されず、研究実験においては、当該研究や実験の内容に応じ研究者同士の話し合いによって、安全対策が決定されるべきであるところ、本件実験においては、電気発破器のハンドルに相当するものは存在しないため、前記手順による一人責任体制を採用することをもって右規定の趣旨は生かされており、この点につき注意義務違反はない。

② ランプ又はブザーの設置について

自動的なランプやブザーは、当時他の研究機関においても、安全確認装置として一般的に設置されてはいなかった。中川研究グループでは、自動的な安全確認装置の中途半端な導入はこれに頼るとかえって危険を増大させる場合があるとの考え方から、右ランプやブザーは設置しなかったが、従前の実験において何ら支障はなかったし、右装置が必要であるとの意見は、淳初めグループ構成員の誰からも出なかった。前記手順によれば、結線前に意識的に安全短絡スイッチ並びに起爆用電源及び充電スイッチを確認するのであるから、これらのスイッチにランプやブザーを設置して、その作動状態を明示することは必ずしも必要ではない。したがって、本件実験において、これらの設備を設置しなければならない注意義務はなかったのである。

③ 作業手順の厳守

イ 安全短絡スイッチの確認時期

控訴人らは、右確認時期を爆発室入室前とすべきであった旨主張する。しかし、中川研究グループにおいては、結線さえしなければ爆発が起こることはないという前提に立って安全対策を講じており、安全短絡スイッチの設置目的は、主として結線作業中の危険を防止するためのものであった。したがって、確認時期は、結線作業に入る前であれば足り、中川研究グループにおいて、前記手順を採用したことに安全対策上何ら問題はなかったのである。

ロ 同時並行方式について

中川研究グループにおいては、爆発室内の爆縮セットの位置調整作業と観測室内の電気回路の時間調整作業を、並行して行ってはならないという手順の定め方をしていなかった。しかし、爆縮セットの電気雷管脚線の撚り合わせを解除して起爆用ケーブルと結線さえしなければ、爆発することはないとの事実を前提とする限り、右各作業を同時並行しても何ら危険性はなく、したがってこれを禁止する注意義務もない。

ハ 起爆用電源及び充電スイッチ等を切る責任者の確定について

中川研究グループにおいては、自分が主体になって組み立てた者が、主要な操作、つまり爆縮セットの位置調整、安全短絡スイッチ等の確認、結線を担当するという基本的立場に立っていた。本件実験の直前に行われた平板型爆縮実験の起爆後の役割分担については、淳が病気で実験に参加できなかった三浦成人助手に代わって担当し、起爆スイッチも押したので、安全短絡スイッチ、起爆用電源及び充電スイッチ等を担当することになっていたのも淳であろうと思われる。この担当の点が明確でなかったとしても、前記手順によれば、最終的に結線前に確認されることになっており、この確認が中心的なものであったから、安全対策としてはこれで十分である。

ニ 実験全体の監督者の選任

本件実験において、各スイッチの確認作業を含め、実験全体を監督するスーパーバイザー的立場の者を選任しておくことが、安全工学的立場から望ましかったことは、控訴人ら主張のとおりである。しかし、安全確保の見地だけから全体の監督者を選任すべきかどうかは、当該実験の目的、内容の複雑さ、関与者の数及び各人の知識・経験等を具体的に検討して判断すべきであり、本件のように小人数の専門家集団によって行われる研究のための小規模な実験においては、実験全体の監督者を選任していなかったからといって、注意義務違反になるものではない。なお、本件においては、結線しない限り爆発は起こらないという前提に立つ限り、前記手順により、結線担当者が結線直前に自ら安全短絡スイッチ等を確認するという一人責任体制は、十分合理的な理由があり、この点からも右注意義務違反はない。

④ 耐暴爆用装置の必要性

前記のとおり、中川研究グループが本件実験に用いた安全電気雷管は、ストリーマー放電等の微弱なエネルギーでは起爆しないから、耐暴爆用装置を施すまでの注意義務がないことは明らかである。

3 使用者責任等について

前項のとおり、本件事故について中川教授らには過失はないから、被控訴人は、使用者責任若しくは国家賠償法一条一項の責任を負わない。

4 損害

(一) 葬儀費用

争う。

(二) 逸失利益

国家公務員たる文部教官の昇進・昇格は、人事院規則九―八第二〇条所定の必要経験年数または必要在級年数を有しているか否か、当該定員に欠員があるか否かなどの客観的条件と、教授または助教授の職務を遂行できる能力及び適性があるかどうかなどの主観的条件によって決定されるのであり、助手が必ず助教授や教授に昇任するとは限らず、まして控訴人らの主張の時期に、淳が昇任する蓋然性はない。

次に、控訴人らは、淳が六三歳で国立大学停年退職後、直ちに私立大学教授に転職して六七歳まで勤務すると主張しているが、右再就職は極めて蓋然性に乏しい上、停年退職後仮に再就職による収入があるとしても、本人の生活費等を差し引いてなお余剰があるものとは、通常考えられない。

(三) 慰藉料

争う。

なお、被控訴人は、淳の死亡を公務災害と認定して速やかに公務災害補償支給に必要な手続をとったほか、生前に遡って東北大学講師、同助教授に任命するとともに、叙勲申請や金属材料研究所による総額一三四万円五〇〇〇円の募金活動を行うなど、淳の業績及び名誉を讃え、損害の回復をするために最大限の努力をした。

5 過失相殺等について

仮に被控訴人に損害賠償責任があったとしても、本件事故の主たる原因は、淳の誤った結線にあるばかりでなく、本件実験における淳の役割や、中川教授と遜色ない研究者としての能力等に照らして、淳自身の過失も否定できないから、相当程度の過失相殺がなされるべきである。

なお、遅延損害金の発生は、安全配慮義務違反を理由とする請求についても、控訴人らは、本件事故直後の昭和五〇年四月一日からであると主張しているが、右請求は債務不履行責任に基づくものであるから、遅滞に陥るのは請求を受けた日の翌日であり、本件においては訴状送達の日の翌日である昭和五三年四月一六日からである。

第三  証拠

この関係は、原審及び当審記録中の各証拠目録記載のとおりである。

第四  争点に対する判断

一  本件爆発の経緯

この点については、その前提として前記第二の一の事実があるほか、甲第四号証、乙第一号証の二、第二号証の一、二、原審証人中川康昭(第一、二回)、同後藤恒昭、同本多直樹、同鈴木進、当審証人庄野安彦の各証言、原審検証の結果及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

1  中川研究グループでは、中川教授が東北大学金属材料研究所に赴任した昭和四五年一一月以降、「極強磁場下における金属物性」の共同研究を行い、本件実験所において、爆縮実験を原判決別紙五記載のとおり三四サイクルに亘って行った。淳は、このうち昭和四七年四月二五日以降の二五サイクルの総てに参加し、実験作業を担当してきた。昭和四九年一二月に、起爆による爆音が周囲の民家に響くのを防止するため、本件実験所に爆発室が新築された。この爆発室は、中川教授が中心になって建築を進めてきたもので、本件実験は、それまでの野外での実験に代って、新築された爆発室において初めて行われる実験であった。中川研究グループのうち、庄野安彦助教授は外国出張のため参加できず、この補充のため同行する筈であった三浦成人助手も、健康状態がすぐれず、結局参加できなくなった。そこで、淳が三浦の代りに、同人の担当予定であった平板型爆縮セットを用いた実験を担当することになった。また、中川教授の指名により当時大学院生であった本多が、雑用の手伝等の単純な補助を担当するとともに、将来の研究に備えての見学の面も兼ねて実験に参加することになった。結局、本件事故の発生した実験サイクルに参加したのは、中川教授をリーダーとして、後藤助手、淳及び本多の計四名であった。

今回のサイクルでは、後藤助手担当の衝撃波超高圧実験と淳担当の本件実験及び淳が三浦成人助手に代って担当する磁場濃縮のみを目的とする平板型爆縮セットを用いた実験をそれぞれ予定していた。従来から、中川研究グループにおいては、後藤助手が庄野安彦助教授とともに衝撃波超高圧を、淳が中川教授とともに本件実験をそれぞれ専門の研究分野としてきたので、今回も改めて協議したりすることなく、右のとおり各人が実験を担当することになった。淳らの実験参加者は、昭和五〇年三月上旬から約二週間に亘って、それぞれ準備作業を行い、淳はこの間にゼーマン効果発生測定のための爆縮セット三台と磁場発生テストのための平板型爆縮セット一台を製作した。

2  昭和五〇年三月二四日、中川教授、後藤助手、淳及び本多の四名は、予め製作した実験材料等を自動車に積んで仙台市を出発し、同日午後三時頃本件実験所に到着したが、ときどき雪まじりの強風が吹き、気温は低く、雨合羽を着用しないでは、とても作業を続けられない程の寒さであった。翌二五日は朝から実験を開始し、五回の衝撃波超高圧実験を行った。その際、淳が電気雷管起爆装置の充電、起爆及び起爆後の同装置の電源、充電スイッチのオフ並びに安全短絡スイッチの切換えを受持ち、後藤助手が安全短絡スイッチの確認、雷管の結線及び分光流し撮りカメラの操作を受持った。本多は、実験の後片付け、観測窓の修理、実験の開始を知らせる構内放送及び本件実験所周辺の勝手部落向けの放送を担当した。中川教授は爆発室外部の爆発音の漏洩度の測定に従事した。

同月二六日も天候がすぐれなかったが、午前中二回の衝撃波超高圧実験を行って成功し、これにより今回予定した衝撃波超高圧関係の実験は総て成功裡に終了し、予定のデータも得ることができた。同日午後からゼーマン効果に関する磁気分光学的実験つまり本件実験が開始された。右実験は前日までの衝撃波実験に比べると、その手順がかなり複雑で、電気雷管起爆回路の外に、初期磁場発生回路、線爆発(ゼーマン効果の測定に必要な強力な光源を得るために、フィラメントに瞬間的に大電流を通じて爆発的にこのフィラメントを燃焼させることをいい、火薬類の爆発の意味ではない)回路並びに磁場ピックアップ回路を爆縮セットに接続し、分光流し撮りカメラのシャッターから与えられる起爆設定基準時間に対して、それぞれの回路のトリガーパルスのタイミングを調整する必要があった。当日行われた右タイミング調整は、思うように進行せず、線爆発のみのテストが五回も繰り返され、また初期磁場発生装置の充電メーターが故障したので、これを修理し、爆薬を使わない初期磁場発生のみのテストが行われた。これらの作業は夕食後も行われ、作業を終了し、全員が実験所宿泊室に向かったのは、午後一一時を過ぎていた。

3  翌二七日も朝からどんより曇った風の強い寒い日であったが、前夜遅くまで調整が行われたタイミング回路をテストするために、線爆発が最初に行われ、引続いて第一回目の本件実験が開始された。本件実験に用いられた爆縮セットの組立は、淳が準備室においてほとんど一人でした。爆発室内での作業のうち、本多が関与したのは、淳の指示により初期磁場コイル用導線と観測室からのケーブルとの結線作業をした外は、片付け等の単純な仕事の手伝いをしただけであり、爆縮セットの位置調整や電気雷管の結線等の作業は、総て淳が担当して行った。淳の右作業に並行して、観測室内では、後藤助手が各指令パルスのタイミング調整作業を行った。起爆から測定までの体制に入った時の各実験者の位置は、別紙四実験人員配置図1のとおりである。この時点で、中川教授は実験開始を知らせる放送と起爆の秒読みを行った。淳は、電気雷管起爆装置及びゼーマン効果用発光電源装置の充電、分光流し撮りカメラの操作、安全短絡スイッチの起爆側への切換え並びにカメラシャターによる起爆を担当した。後藤助手は初期磁場装置の充電、分光流し撮りカメラのモーターのオン及びシンクロスコープの操作を行った。本多は本件実験の進行を見守っていた。しかし、電気雷管起爆装置を電気雷管を結ぶケーブルの一部損傷による単純な欠落のために起爆せず、第一回目の本件実験は失敗に終わった。なお、本件実験は、昭和四九年六月二五日から同月二八日までのサイクル、同年九月三〇日から同年一〇月三日までのサイクルに続いて、三回目であった。

4  そこで、中川教授らは予定を変更し、このような複雑な操作を必要としない、昼休みまでの短時間で終了することの見込まれる、平板型爆縮セットによる磁場濃縮のみを目的とする初期的実験に切替えて実施した。この実験では中川教授により準備室で爆縮セットに爆薬が装填された後、淳が同セットを爆発室に運び、初期磁場コイル用導線、磁場ピックアップコイル用同軸ケーブル及び電気雷管脚線と観測室からの各ケーブルとのそれぞれの結線を行った。このとき並行して後藤助手は、各種指令パルスを初めとする電気計測装置の調整作業を観測室で行っていた。本多も観測室にいて、中川教授の指示により、次の本件実験に用いられる予定のプローブの磁場ピックアップコイルの巻直しを行っていた。右コイルは第一回目の本件実験失敗の際、実験上支障があることが判明していた。

この時の起爆から測定時までにおける各人の位置関係は、別紙五実験人員配置図2のとおりである。中川教授は、前回の実験と同様に放送を受持ち、起爆の秒読みを行った。淳は、電気雷管起爆装置の充電と起爆トリガーの操作を行った。ところが、この操作は、二五日からそれまで繰り返し行われた実験とは異なる位置関係にあった。すなわち、午前第一回目の本件実験においては、起爆トリガーパルスの発射は分光流し撮りカメラのシャッターで行われたので、電気雷管起爆装置の充電スイッチ及び安全短絡スイッチの位置は、手の届く範囲のところにあり、起爆操作後これらのスイッチを切るのに便利であった。しかし、平板型爆縮セットを用いた右実験では、観測室の東南隅にあるパルス遅延装置の手動押ボタンで起爆トリガーパルスを発射したが、この押ボタンは、電気雷管起爆装置の充電スイッチ及び安全短絡スイッチの位置からは、数メートル離れていた。

淳は、右手動押ボタンを押した後、観測室のほぼ中央に置かれていた机の上で磁場ピックアップコイルの巻直し作業をしていた本多のところに行き、この作業を手伝った。後藤助手は、パルス遅延装置とイグナイトロン点弧用パルス発生器Ⅱの臨時接続回路を普通の状態に戻した後、昼食の用意のため、最初に観測室を出て、宿泊室に向った。続いて、淳と本多は、巻直した磁場ピックアップコイルのアラルダイト固めを終えて、観測室を出た。このとき、電気雷管起爆装置の電源及び充電スイッチがオンになっており、安全短絡スイッチが起爆側に入ったままになっていた。この平板型実験においては、起爆後にこれらのスイッチをオフにする担当者及びそれを確認すべき者は、いずれも特に定められていなかった。

5  午後第一回目の爆縮実験は、爆発時間を午後二時二〇分頃と予定されていた。宿泊室に戻った四名は、そろって昼食を取った後、午後一時二〇分頃、まず中川教授が観測室に戻り、鍵を開けて一旦は室内に入ったが、すぐに準備室に行き、午後の第二回目に実施する予定の爆縮実験用セットの点検等を開始した。その後、中川教授は、一度爆発室の周りを巡回したほかは本件事故発生までの間、準備室を出ることはなかった。午後一時三〇分頃、淳と本多、やや遅れて後藤助手が、昼食の後片付けをしてから、宿泊室を出て相次いで準備室に入った。後藤助手は、観測室に戻った後、前夜遅くまで実験作業をしていたことによる疲労を覚えて、入口近くにおいてあるソファーに腰掛けて五、六分程休憩していた。一方、淳は、直ぐに午前中に修理したゼーマン効果測定装置を持って準備室に行った。本多は一旦爆発室に立寄って、内部に午前の爆発実験の片付けをする物があるかどうか確かめた上、準備室に行った。この時準備室においては、淳がゼーマン効果測定装置と爆縮セットを組合わせているところで、電気雷管は既に取付けられ、その起爆用ケーブルに結線すべき脚線の先端は、撚り合わせて短絡してあた。淳は、組立を完了した爆縮セットを持ち、本多を従えて爆発室に入った。まず本多がアングル製架台の北側に飛び降り、木材の棒二本を架台上に平行に置いてから、上で待機していた淳から爆縮セットを受取って、右棒の上に置いた。次に、淳が右架台の傍らに降りて、観測室からのケーブルと右セットとの結線を開始した。この結線作業には、初期磁場コイル用導線、磁場ピックアップコイル用同軸ケーブルと、観測室からの各ケーブルとの結線があり、従来からの実験手順では、これらの結線作業は、この段階で完了させるものの、これ以外の電気雷管脚線と右ケーブルだけは、この時点では結線しないままにしておき、爆発直前に本件の場合では淳が自ら安全短絡スイッチのオン(短絡側)を確認した上で行うことになっていた。

この直後、後藤助手もケーブル類の点検と後片付けのために爆発室に入り、本多のそばに降りた。後藤助手が主になり、本多がこれを手伝って、爆発実験のために各ケーブルが損傷することのないように保護する目的で、地上をはっているケーブルに砂をかけて埋めたり、午前中の爆発実験のために散乱した木材を片付けるなどの作業を行った。本多は、爆発を伴わない実験のときの結線作業及び午前中の実験で淳の指示により初期磁場コイル用導線の結線作業を手伝ったことがあるので、このときも初期磁場コイル用圧着端子を結線しようとしたところ、後藤助手から、結線は淳に任せるようにと言われてやめたため、結局は淳の結線作業を一切手伝わなかった。後藤助手と本多が片付け作業を終えるのとほぼ同時に、淳が爆縮セットの位置を調整したいので観測室に行って見てくれるようにと依頼したので、後藤助手と本多は相次いで爆発室を出た。

本多の役割は、観測室内にある分光流し撮りカメラのファインダーを覗き、爆発室の淳とインターホンで連絡を取り合って、アングル製架台上の爆縮セットを淳に動かして貰い、右カメラの視野に正しく右セットのゼーマン効果用プローブが入るようにすることであったので、本多は急いで観測室に戻り、所定の場所で右カメラのファインダーを覗いた。このときは、右プローブが大体カメラの視野に入っていたので、本多が一旦顔を上げたところ、丁度その時(午後一時五〇分頃)後藤助手が観測室に入ってきた。本多は大体良い所に行ってますよと後藤助手に告げ、後藤助手はそうかと返事をした。後藤助手は、直ちに本件実験に必要な四種の各指令パルスのタイミング調整作業を開始した(本件爆発時点で、調整していたのがこのうちのゼーマン効果用トリガーパルスであったことは当事者間に争いがなく、当初からこの装置の調整をしていたのかどうかについては後述する)。一方、これと並行して、本多は、引続き分光流し撮りカメラのファインダーを覗いたままインターホンで淳と連絡をとり、二、三回爆縮セットを移動して貰い、ゼーマン効果用プローブの位置の調整を行っていた。さらに数ミリメートル右セットを動かせば調整が完了ということになり、少しづつ動かすように本多は淳に連絡した。淳からそれに応じる旨の返答があり、淳が右連絡に従って爆縮セットを少しづつ動かしている途中、本件爆発が生じた。遅くともこの時には、後藤助手はゼーマン効果トリガーパルスのタイミング調整作業に着手し、このパルスを発射していた。すなわち、この時には、パルス発生回路中のゼーマン効果トリガーパルスの出力回路は、ストレージシンクロスコープに連結されるから、パルスを発生させれば、ゼーマン効果発光電源装置には、トリガーパルスは印加されず、そのパルスはストレージシンクロスコープに印加され、それと同時に電気雷管起爆装置にもトリガーパルスが印加されることになった。また、爆発時において、初期磁場用電源及びゼーマン効果用発光回路はオフになっていたが、電気雷管起爆装置及び充電スイッチがいずれもオンになっており、安全短絡スイッチも起爆側に入っていた。したがって、爆発条件のうち、④の電気雷管脚線と起爆用ケーブルが結線されていること以外の条件、つまり①ないし③、⑤は満たされており、右④の条件若しくはこれと同じ結果になる状態が整えば、後藤助手の発射した右テストパルスによって起爆する状態にあった。

6  本件実験で予定されていた手順は、別紙六ゼーマン効果実験手順表のとおりである。すなわち、まず最初に準備室において、爆縮セットが組立てられ、次に爆発室に運ばれて、鉄アングル製架台上に渡した角材の上に据付けられる。引続いて、爆縮セットの初期磁場コイル、ゼーマン効果用プローブ及び磁場ピックアップコイルの端子が、観測室から引込まれているそれぞれに対応する各ケーブルに結線される。電気雷管脚線の結線を残して他の結線作業が終了すると、ゼーマン効果用プローブが観測室内にある分光流し撮りカメラの視野に入るように、爆縮セットの位置を精密に調整する。位置調整作業が終了すると、結線担当者は必ず自ら観測室に戻り、電気雷管起爆装置の電源スイッチ及び充電スイッチがオフであり、かつ安全短絡スイッチが安全側に入っていることを確認する。この確認後、再び爆発室内に戻り、電気雷管の結線を行い、直ちに観測室に集合する。このような爆発室内での爆縮セットの据付け及び結線作業と並行して、観測室内では各種指令パルスを初めとする電気計測装置のタイミング調整が進められ、遅延時間や測定感度の設定が行われる。さらに電気雷管結線後、全員が観測室に集合し、構内スピーカーで実験を予告する。その後に初期磁場発生装置等の充電等を行い、電気雷管起爆装置の電源スイッチ及び充電スイッチをそれぞれオンにし、ついで安全短絡スイッチを起爆側に切換えて総ての回路を接続し、爆発のための秒読みを開始する。最後に分光流し撮リカメラのシンクロシャッターを押してこれにより爆発させる。

起爆後、電気雷管起爆装置の電源スイッチ及び充電スイッチをそれぞれオフにし、安全短絡スイッチの短絡側への切換え、分光流し撮りカメラの停止並びに初期磁場発生装置とゼーマン効果発光電源装置の放電を行うというものであった。

なお、この手順は爆発室が新設されて以降第一回目の実験であったため、既に触れたとおりこれまで二サイクルに亘って行われた実験手順に基本的には沿っていたものの、爆発室と観測室との同時並行作業が行われたのは、初めてであった。

7  事故発生後の状況

準備室にいた中川教授は、予期しない爆発音を聞いて直ちに観測室に駆け込み、淳の姿が観測室内に見えないことに気付いた。観測室内でゼーマン効果用トリガーパルスのタイミング調整作業を行っていた後藤助手も、突然の爆発音に驚き、直ちに同室内にある電気雷管起爆装置を見分したところ、右装置の電源スイッチ及び充電スイッチがオンになっており、コンデンサーバンクの電圧が四KVであった上、安全短絡スイッチが起爆側に入っていることを認めたので、直ちに電源スイッチ及び充電スイッチをオフにし、安全短絡スイッチを短絡側に戻した。後藤助手が四KVであることを確認したのは、中川教授が観測室に入室する直前であり、タイミング調整作業を行っていた位置と数メートルしか離れていない箇所にコンデンサーバンクがあったことからすると、爆発後一〇秒足らずの時点であった。

中川教授、後藤助手及び本多は、爆発室内に駆け付け、爆発後の煙を換気扇で排気して入室すると、一見して淳は即死とわかる状態であったので、中川教授は爆発室の現場を保存して直ちに警察に通報した。間もなく道川派出所の警察官、次いで同日午後三時頃に本荘警察署の警察官が来たが、その前に報道関係者が多数来て、観測室内が混雑した状況になっていた。

翌二八日午前一〇時頃から同日午前一二時三〇分頃まで、警察による現場検証が行われ、同日午後一時三〇分ころから神垣助教授、後藤助手らによって事故現場の後始末が行われた。この後始末において、後藤助手が爆発室内の起爆用ケーブルの固定部を取外し、三浦助手と本多が観測室内にこのケーブルを引き込んだ。同年四月二四日、本件事故調査委員会が本件実験所において右ケーブルを確認したところ、結線していれば爆発後も通常残存している筈の電気雷管脚線が残存していなかった。

二  本件事故の発生原因

1  本件爆発の際には、既に説示したとおり、本件爆発前において爆発条件のうち①ないし③の条件が整っており、その状態下において後藤助手が右⑤の条件であるパルスを発射したことが認められる。したがって、④の条件つまり結線がされるか或いはこれと等しい状態が作出されるかすれば、爆発条件を総て満たすことになる。この点につき、控訴人らは、結線していなかったことを前提として偶然接触によるストリーマー放電である旨を主張し、被控訴人は、これによっては起爆可能性がないと主張する。そこで、この点に関する重要な資料の記載を以下の(一)、(二)に摘記する。

(一) 事故調査委員会の報告書(乙第一号証の二)

「本件実験の際、用いられていた電気雷管は、昭和四九年三月から、中川教授らが旭化成工業株式会社と共同開発した線爆発型安全電気雷管であり、その耐電圧試験結果によれば、四マイクロファラッドのコンデンサー電源では直流二KV以上で爆轟する。したがって、本件爆発が生じたのは、電気雷管内の電橋に直流二KV以上の電圧による瞬間大電流が流れた可能性が最も高く、そのためには、起爆用ケーブルと電気雷管脚線とが電気的に接触していることが必要条件である。この電気的接触は、この両者が結線されていたか、或いは電気雷管脚線と右ケーブルの先端とが偶然に接触したかのいずれかによって実現されたと考えられる。しかし、そのいずれであるかは、事故当時の爆発室内における作業の内容を明確にすることができない以上断定できない。偶然接触は、電気雷管の二本の脚線の撚り合わせが解けて短絡状態でなくなり、この二本とケーブル先端の二本の線とが同時に触れて、起爆装置からケーブルを経て電気雷管に至り、再び起爆装置に戻る閉じた回路ができたことを意味する。この接触は、直接的なものに限らず、中間に導体を経た間接的なものでもよい。爆発室内における位置調整作業中に、このような偶然接触が起こり得ることは否定できないが、しかし、脚線の撚り合わせが簡単に解ける事があり得るかどうかに疑問が残るし、接触の時間も短いであろう。そこで、このように形成される回路ではなく、脚線の一部分が直接あるいは間接に接地状態となり、また他の一部分が起爆用ケーブルの先端のプラス側に触れて、その結果起爆装置がケーブル、電気雷管を通って接地され、起爆装置のコンデンサーの一端であるマイナス側の接地を介して回路が形成されたことが考えられる。雷管の脚線の一部は、撚り合わせられたままでも四〇ないし五〇センチメートルの長さで爆縮セットから垂れ下がっており、これが他のものに触れることはあり得る。たとえば、垂れ下がった脚線が、地面あるいはアングル製架台に触れ、一方、位置調整のため装置を保持している手が脚線の別の部分に触れ、また同時に人体の一部が起爆用ケーブルの先端に触れて、雷管を通して接地状態になっていたという場合である。作業に熱中していれば、このような接触に気付かずにいることもあるであろう。人体の電気抵抗は、交流一〇〇Vで一キロオーム程度であるといわれているが、事故当日の三月二七日は雨模様であって、かつ本件実験所が海岸にあって潮風の影響により導電性が上がっており、電気雷管起爆装置の六KVの瞬間高電圧がかかれば、かなりの電流が流れることが考えられる。しかし、それが雷管の起爆を生じさせるほど十分であるかどうかが問題であるが、一般に電気雷管の性能は規格値を中心にある程度の分布をしているので、爆発が可能であったかもしれない。爆薬は本質的にかなりの不安全性を有しているので、専門家による災害発生原因の調査においても到底生じ得ないと結論されるような条件下で、実際には起爆した例がいくつかあるといわれている。以上の如く、偶然接触説にはそのような事態が生じることに言葉どおり偶然の積み重ねを想定しなければならないけれども、他方研究者である淳が、爆発室内で錯覚、錯誤をおかしたり、原則違反行為をしたと考えなくても、爆発の生起を説明できるので、この可能性を排除するわけにはいかない。結局、爆発の起こるための回路は、それが形成されていたといえるものの、どのような過程によるのか判断を下すことはできない。本件事故の原因は、他の原因も考えられなくはないが、次の可能性がもっとも大きいものと推定される。すなわち、電気雷管起爆装置の電源及び充電スイッチ並びに安全短絡スイッチとが起爆可能な状態のまま実験の準備が行われたことと、爆発室内における電気雷管脚線と起爆用ケーブルとの結線或いは接触という事態が重なったことによると考えられる。」

(二) 当審鑑定人福山郁生の鑑定結果

「電気雷管脚線と起爆用ケーブルとが結線されていなくても起爆する可能性があり、本件においては、電気火花放電による起爆の可能性が、大であると推論することができる。すなわち、本件実験の爆縮セットの電気雷管が起爆するには、① 正常起爆つまり電気雷管の二本の脚線のうち、一本の脚線から電気雷管内の白金電橋を経て他方の脚線に直列に通電して雷管が爆発し、更に爆薬を爆轟させる場合と、② 放電起爆、つまり電気雷管の一本の脚線または短絡された部分に、起爆用ケーブルのプラス側が接触し、起爆電源の高電圧が電気雷管内の白金電橋及びその付近に印加されると、右電橋付近と銅管体間に火花放電が生じ、その際、起爆電源コンデンサーに蓄積されていた電気エネルギーが放出され、このエネルギーにより電気雷管のペンスリットが起爆される場合とがある。さらに、正常起爆における結線の仕方や偶然接触の態様について、四通りのケースを想定することができる。このうち偶然接触については、爆縮セットの電気雷管脚線の短絡が外れ、脚線と二本のケーブルとも結線していないが偶然接触により通電し正常起爆するケースがある。また放電起爆による場合について結線や接触状態について三通りのケースがあり得る。結局計七通りのケースを想定することが可能であるが、結論的に言うならば、本件事故時点においては実験操作手順上、淳が電気雷管脚線の短絡を外す必要がなく、爆縮セット取扱中にこの短絡が外れる可能性も少ないので、本件事故は、爆縮セット結線前に右脚線の短絡のままの状態で、その短絡部が起爆用ケーブルのプラス側と接触したことにより生じた可能性が大である。

この場合の機序は次のようなものである。本件事故では起爆電源は火花放電を起こすのに十分な電圧を有していたから、電気雷管の脚線部に起爆用ケーブルのプラス側が接触し、起爆電源の高電圧が右雷管の電橋部に印加されれば、電橋部とプラスチック製塞栓との間は、電気的に絶縁され、かつ一ないし二ミリメートル程度の極めて近距離に対面しているので、電橋部と銅管体間では、火花放電が生ずる可能性がある。そして、本件電気雷管で使用されている爆薬ペンスリットにつき、最小着火エネルギーは0.35ジュールと測定されているところ、本件実験に使用されているコンデンサー容量が四マイクロファラッド、最高電圧二〇KVであり、本件事故時の充電電圧を四KVと仮定すると、起爆電源に蓄積されている静電気エネルギーは三二ジュールと算定される。そうすると、この場合の起爆電源エネルギーは、先のペンスリットの最小着火エネルギーの一〇〇倍程度の値になり、ここで発生した高圧電気放電により十分爆発する可能性がある。次に、本件では結線されていなかったと推認するのが合理的である。すなわち、① 淳が結線を行った者を目撃している者はいない、② 本件実験手順上、未だ結線する必要はなかった、③ 結線部分は撚り合せてあり、爆発後約五ないし八割程度残存するとされているのに本件爆発後回収できなかった、④ 仮に本件事故発生前に結線されていたとすれば、ゼーマン効果用トリガーパルスのタイミング調整作業のため第一回目に押したトリガーパルスで発生する筈である。このような場合、そのことが後藤助手の記憶に残らないことは考えられない。一方、淳のセット調整時の操作からみると、爆縮セットの電気雷管脚線の短絡を外し、起爆用ケーブルに結線する時間的余裕はないと思われる。」

(三) これらの資料は、本件爆発の機序について、事故調査委員会は正常起爆のケースを中心に想定しているのに対し、福山鑑定人は放電起爆のケースを中心にしており、その点ではやや異なるものの、結論としては、いずれも偶然接触によって本件爆発が生じる可能性があることを肯定している。

これに対し、被控訴人は、このうち右放電によっては本件爆発が生じないと主張し、これを裏付ける証拠として、当審証人後藤幸弘の証言及び同人作成の鑑定意見書(乙第三三号証)とこの関係の照会書(乙第三二号証)などを提出している。

右証言及び意見書によれば、控訴人ら主張の別紙一、二のとおりの回路が形成されたことを前提として、四KV充電、四マイクロファラッドの高圧コンデンサーバンクに主スイッチとして接続されたイグナイトロンにトリガーパルスを印加してオンとした時に、本件電気雷管を起爆するに足りる放電が電橋と管体間に起こり得るかという実験をした結果、絶縁破壊や黒色ゴム引製雨合羽表面での沿面フラッシュオーバによる大電流は観測されなかったし、黒色ゴム引製雨合羽の直流絶縁破壊電圧は一二KVないし一三KVであり、また負荷抵抗が五〇キロオーム程度の高抵抗では流れる電流が小さく、イグナイトロンは高圧トリガーパルスでオン状態になっても、比較的短い時間、すなわち電荷が負荷側に印加されている時間が0.5ないし0.8ミリセコンド程度でオフ状態に戻ってしまうことが判明し、この場合高圧パルス電源に当たる四KV充電、四マイクロファラッドの高圧コンデンサーバンクの電圧は、殆ど低下しなかった。したがって、黒色ゴム引製雨合羽の表面に海水と同濃度の塩水が一様に付着していても、鉄アングル架台と腕あるいは肘との間が右合羽で電気的に絶縁されている限りは、結論として大電流放電の生じることはありえないと判断できるとしている。

しかし、右後藤証言によっても、右実験に使用した新品の雨合羽ではなくて、傷があったり、穴があいていたりしたものであれば抵抗値は低くなるし、また雨合羽のどの部分に印加されたのか、その部分の材質、厚み及び材料内部の欠陥によって絶縁破壊電圧は異なるので、本件実験の際に淳が着用していた雨合羽の状態いかんによっては、大電流放電が生じないとした同証人の鑑定意見も異なってくる可能性があることは否定されていない。加えて乙第三三号証によれば、雨合羽の抵抗値は一二キロオーム程度であるので、抵抗値を五〇キロオームとして行われた後藤実験の結果が、本件実験に妥当するかどうかは断言できない。

また、そもそも後藤実験の前提である、コンデンサーバンクの充電電圧が四KVであったという事実も、被控訴人が主張し、一旦控訴人らが当審においてこれを認めた経緯はあるけれども、乙第一号証の二によれば六KVとされており、本件においてはこの外は確たる証拠がなく、本件実験に従事した中川教授、後藤助手、本多の証言によっても、設定電圧はおろか当日本件爆発直前に行われた平板型爆縮セットの実験の際にコンデンサーバンクの電圧を設定したのか、それともその前に行ったゼーマン効果測定用の爆縮セットによる実験の電圧設定をそのまま利用して平板型の実験を行ったのかも明らかではない。乙第九号証、当審証人庄野安彦の証言によれば、中川研究グループが従来行ってきた同種の実験の場合には、コンデンサーバンクの充電電圧は、平板型の場合は電気雷管が一本なので四KVと、爆縮セットの場合はこれが八本なので一六KVとそれぞれ設定していたものと認められる。そうすると、本件爆発時の充電電圧は、その直前に行われた平板型爆縮セットのそれである四KVとなっていた可能性が高いものの、爆縮セットの場合の一六KVまで上げられていた可能性も否定できない。

右のとおり後藤鑑定意見書や同人の証言も、控訴人ら主張の機序によっては本件爆発が絶対に不可能であるとの反証に成功しているとは言い難く、そもそも右主張以外の機序による爆発可能性については検討の対象としていないので、この点の起爆可能性がないことを証明するものではないと言わざるを得ない。

2  事故原因について

本件事故の原因、すなわち結線の有無と偶然接触等による爆発かどうかの点は、前項のとおり東北大学教授らの研究者を構成員とする事故調査委員会の結果によってもこれを確定することができず、当審の鑑定結果においても結線していない可能性が大きいとしているにすぎない。また、結線しないまま爆発するケースとしては、鑑定中に考察されているとおり、偶然接触等いくつかの場合が想定される。さらに、乙第三一号証によれば、次の事実が認められる。すなわち、被控訴人指定代理人らからの「現在訴訟になっている事故は、偶然接触によりアースを介して回路が形成された場合に雷管が起爆するか否かが問題点の一つとなっているが、ペンスリット爆薬を使用した特殊雷管を用いて、四KVの電気を電気雷管の脚線と管体の方に流して、雷管内の電橋部分と雷管の管体部分との間に放電が発生するか否か、さらにはその放電でペンスリット爆薬を使用した雷管が起爆するか否かの実験をすることはできないか」との問合せに対し、通産省工業技術院・化学技術研究院の安全化学部爆発化学部の田中克己工学博士及び石川主任研究員は、「事故の内容から、まず抵抗の大きさがどの程度あったのか不明であること、また抵抗が一定であるとしても、ぺンスリット爆薬は粉末の圧縮程度により起爆の難易も相当異なるので、使用する特殊雷管の中のペンスリットの圧縮の程度が異なれば、実験結果は異なることになり、実験は正確性を欠くことになる。もし、本当に、そのような研究をするのならライフワークとして行うことの覚悟が必要であると思う」旨の回答をしている。

この回答によっても、結線以外による爆発の可能性は、爆発に至る機序を明らかにすることはできないものの、その可能性が全く否定されてはいないということができる。そこで、果たして淳が結線したのかどうかについて検討する。

(一) まず、仮に淳が結線したとしてそのようにする可能性があった時間帯は、本件爆発の経緯の説示に照らし、淳が爆発室に入り、爆縮セットを受取った午後一時三〇分過ぎから、本多が観測室に戻り淳との間に右セットの位置調整作業を開始した午後一時五〇分前までの十数分の間である。原審証人中川康昭(第一、第二回)、同後藤恒昭の各証言及び弁論の全趣旨によれば、右結線作業は電気雷管脚線と起爆用ケーブルのそれぞれの短絡、つまり二本の線の撚り合せを一旦解いた後、これをそれぞれの線に繋いで再び撚り合せして結ぶという作業であり、短時間で済むので前記十数分の間に淳が結線することは、時間的には可能である。

しかし、前記乙第一号証の二、原審証人中川康昭(第一、第二回)、同後藤恒昭、同本多直樹、同鈴木進の各証言及び弁論の全趣旨によれば、後藤助手と本多は、淳の爆発室内の作業を終始見ていたわけではなかったので、淳が結線したかどうかは目撃していなかったし、本件実験の手順上ではその時点では未だ結線の段階ではなく、爆発予定時間である午後二時二〇分までの間には後藤助手によるゼーマン効果用トリガーパルスの調整を初めとするタイミング調整作業が予定されていた事実が認められる。

また、右中川及び後藤証言によれば、次のとおり認められる。すなわち、本件実験の手順上の安全確保は、中川教授らが開発した本件電気雷管の安全性の特質である、四マイクロファラッドのコンデンサーバンク下において二KV以上の高電圧を印加しない限り爆発しないことを前提として、第一に、安全短絡スイッチを短絡側にしておく、第二に、結線しない限り爆発しないとの前提に立ち、爆発直前に結線するとの二点を中心にしており、この二点に尽きるといっても過言ではない程重視していた。一方、淳は、原判決別紙五記載のとおり昭和四七年四月二五日以降本件実験までに二五サイクルに亘って行われた数百回の爆発実験に総て参加しており、この二点で安全確保がされており、それ故手順上これを厳守することが重要であることを十分認識した上、実験作業に従事してきた。

そうすると、従来守られてきた安全確保上の要である右の手順を無視して、淳が本件実験の際に限って、わざわざ結線したというのは余程の事情がない限り、考えにくいことである。なお、淳がこの手順を誤って結線することも全く考えられないというわけではないが、前掲後藤証言も指摘するとおり、結線作業そのものが堅く撚り合わされて短絡の状態にある二本のコードをそれぞれ一旦解いて、相互に繋いで結び直すという意識的で、しかも或程度の時間を要する行為であるというその内容からみて、うっかりした無意識的な行為がなされた可能性は殆どないもの考える。

(二) 既に触れたとおり、淳が結線可能な時期は、後藤助手が各種指令パルスのタイミング調整作業に入る前の段階であるから、仮に淳が結線していた場合には、右作業の段階では既に爆発条件のうち①ないし④の条件は整っていたことになるので、後藤助手がゼーマン効果用トリガーパルスのタイミング調整作業に着手し、右パルスを発射すれば、その第一回目の発射によって直ちに爆発が起こる筈である。逆に言うならば、後藤助手が右調整を開始してから本件爆発までに二回以上このパルスを発射していれば、そのことは淳が既に結線していたことと矛盾するわけであり、反対に一回のパルスによって本件爆発が生じたのであれば、淳が結線していた事実を推測させる有力な事情となる筈である。

ところが、後藤助手は原審の証人尋問(昭和五七年三月四日原審第一五回口頭弁論期日)において、この点につき、初めに記憶がないと答えた後、当初から記憶がないのかと質されて、「当初からないかどうか、もう七年も経っているから総て忘れてしまったと言うか、かなり朦朧としてわからないんです。」と述べ、一般論としては時間調整の段階であるから暫くは電気雷管起爆用のトリガーパルスをやっていたと、それから一旦接続コードを外してゼーマン効果用トリガーパルスをやり出した時に起こったということも言えるという説明をし、さらに追及されて、「忘れてしまった」、「事故が起こって仰天したのが忘れた原因かどうかわかりませんけれど当初からそうだ(忘れてしまったという意味である)」と答え、事故調査委員会から聞かれはしなかったかという問に対し、「いや何回も聞かれました。でもわからなかったんです。」と、要領を得ない答をしており、前記乙第一号証の二、原審証人鈴木進の証言からも、事故直後に東北大学により行われた事故調査委員会の調査に対しても、後藤助手はこの点の記憶が曖昧で、右調整を行っていた手順を確定できない旨同様の答をしている事実が認められるので、同証人の右証言のみに依拠して、この点の事実認定をすることはできないというべきである。後藤証言の信用性を他の点から検討しても、ゼーマン効果用トリガーパルスのタイミング調整作業か、あるいは爆発に繋がるトリガーパルスを発射しない電気雷管起爆装置のタイミング調整作業かは、一つの作業を終えて次の作業に移る際には、一旦シンクロスコープのコネクターを外して別のそれに付替えるという意識的な作業を必要とするから(後藤証言、当審における控訴人中井俊一本人尋問の結果)、どの調整であったのか、ひいては爆発したのがゼーマン効果用トリガーパルスの一回目のそれであるか、二回目以上のそれであったかは簡単に区別でき、認識できるものと思われる。現に、後藤助手はこの点以外の事故直後の状況については、本件爆発後直ぐに安全短絡スイッチを短絡側にし、電気雷管起爆装置の電源スイッチ及び充電スイッチをオフにし、その際起爆コンデンサーバンクの充電電圧が四KVになっていたことを確認するという比較的冷静な行動をし、これを記憶しているのである。一方、甲第四号証によれば、本件事故の翌日である昭和五〇年三月二八日午前一一時から午後〇時三〇分の間、本荘警察署の池端巡査部長によって行われた現場検証の際、これに立ち会った後藤助手は、次のように説明したことが認められる。すなわち、充電スイッチと起爆スイッチ(安全短絡スイッチのことである)はいずれも起爆の状態になっていたのを知らなかった私が、パルス発生装置のワンショックボタンを押しながら、電気計測器の調整(各種指令パルスのタイミング調整作業である)をしたので、爆縮セットの電気雷管コードが接続(これが結線である)された時に爆発した、この時にスイッチを切るか、右接続しなければ計測器の調整をしても爆発は起きなかったとの説明である。右説明は、池端巡査部長がその時点では格別の専門的知識もなく、本件実験の内容や装置を事前に理解している筈もなかったことからみて、同部長の主観や判断を加えずに、後藤助手の説明をそのまま記載したものと推認できる。この説明によれば、この時点では、後藤助手は本件事故の原因を爆発条件のうち結線以外の条件が既に整っていた状態の時に、淳が誤って結線し、その瞬間に爆発したと考えていたことが明らかである。そうすると、右説明は後藤助手がゼーマン効果用トリガーパルスの調整中であり、パルスを発射し続けていた趣旨を述べたものと理解すべきである。

さらに、本件爆発の経緯で説示したとおり、後藤助手が爆発室から観測室に戻ってパルスのタイミング調整作業を始めてから僅か数分後に爆発が起こっているのである。したがって、仮に後藤助手が電気雷管起爆用のトリガーパルスの調整をまず開始していたとしても、右作業はマイクロセコンドという非常に精度の高い時間調整であって、その作業に相当の時間を要すること(原審証人中川康昭(第一回)及び当審庄野安彦の各証言)に照らして、僅か数分間で一つの調整が完了し、次にゼーマン効果用トリガーパルスの調整に移り、その第一回目のパルスを発射し、その時に爆発が起こったとは考え難い。

こうしてみると、後藤助手が当日午後一時五〇分頃観測室に戻ってから間もなく、ゼーマン効果用トリガーパルスの調整を始め、右パルスを何回か発射している最中に本件爆発が生じたと判断するのが相当である。この事実は、淳が既に結線を完了していたとすれば、第一回目のパルス発射によって爆発した筈であることと矛盾するので、結線していなかったことを強く推定させるものである。

(三) 乙第一号証の二、原審証人中川康昭(第一、第二回)、同後藤恒昭、同本多直樹、同鈴木進、当審証人庄野安彦の各証言及び弁論の全趣旨によれば、次のとおり認められる。

本件実験の際、通常行われる結線とは、爆縮セットから垂れ下がっている約四〇ないし五〇センチメートル前後の銅線の短絡部分を一旦解き、次にこの脚線に比べかなり太い起爆用ケーブルの銅線の短絡部分を同じように解いて、そのプラス、マイナスの二本をそれぞれ撚って結ぶという作業である。結線部分は通電性を確実にし、容易に解けることのないようにするため堅く撚じられている。脚線の方が起爆用ケーブルの太さに比べかなり細いため、爆発によって脚線は結線部分を残して切断され、その結線部分は起爆用ケーブルの方に残存することになるのが普通である。その確率は中川証言によれば、八、九割の可能性であり、後藤証言によっても七割前後のかなり高い確率である。

しかるに、前記第四の一7で認定したとおり、事故調査委員会が昭和五〇年四月二四日、保存されていた起爆用ケーブルを確認したところ、電気雷管脚線はプラス側、マイナス側の二本とも撚り合わせた結線部分は残存していなかった。

もっとも、被控訴人は爆発後、結線部分が残存しない確率も一、二割程度あったとか、本件において回収できなかったのは現場保存の不十分さ等にあることも考えられると主張する。しかし、残存しないことがあり得るとしても、事故調査委員会がこの点を重視して調査したことなどからみれば、極めて稀なことに属し、通常は考えにくいであろう。また前掲各証拠によれば、本件爆発直後中川教授らが爆発室に入室したものの、その後は直ぐに現場を保存し、翌日午前中には捜査機関による現場検証が行われ、同日午後には後藤助手初め本件実験所を利用した爆発実験の研究者らによって後片付けがされており、その間、新聞記者の中には写真撮影のために爆発室内に出入りした者もいたようではあるが、その記者が起爆用ケーブルに触れた状況を窺わせる事情はないし、もし残存している場合には結線は前記のとおり容易に解けないから、意図的にこれを解かない限り、外れて紛失するという事態はあり得ないものと考えられる。

してみると、被控訴人の主張を考慮してもなお、前記結線部分が残存していないということは、淳が結線していなかった事実を推認させる事情であると判断すべきである。

(四) その他の事情について

そして、既に説示したとおり、後藤助手及び本多は、淳が結線したことを目撃したり、結線された状態にあったことを確認したりしていないのである。

また、控訴人の指摘する充電時定数、すなわち起爆コンデンサーバンクから一旦放電されてから約一〇秒後の時点において、前記後藤助手が確認した充電電圧である四KVまで再充電されるのに要する時間との関係をみると、当審の控訴人中井俊一本人尋問の結果によれば、次のとおり認められる。本件コンデンサーバンクから完全に放電があった場合には、本件爆発時点において設定された電圧が被控訴人主張の四KVであれば、充電時定数の理論上この電圧に回復するには少なくとも四〇秒間は必要であり、一〇秒しか経過していない場合には二ないし三割程度しか電圧が回復しない。それにもかかわらず、約一〇秒間で設定電圧までに回復しているのは、放電が完全になされず、コンデンサーバンクの電圧がゼロにならなかったことしかあり得ないが、それは結線された正常な状態下の爆発ではないことに外ならない。

そうすると、この点も淳が結線していなかったことを窺わせる事情の一つとして指摘することができる。

(五) 事故原因についてのまとめ

淳が結線したことを直接示す証拠はないのに、爆発が現実に生じている以上、本項(一)ないし(四)で検討したところに鑑みれば、本件事故は結線以外の、前記福山鑑定指摘の態様による原因、すなわち、脚線と起爆ケーブルとの偶然接触や火花放電などによって生じたものというべきである。この判断は、爆発原因を一つに絞り込んだものではないが、そもそも、本件訴訟において本件事故の原因を究明するのは、被控訴人の責任の有無や損害の判断をするための前提事実を確定するためであるから、突き詰めていえば、淳が結線したことによって爆発したのか、それともそれ以外の結線していない状態下において爆発したのかが確定できれば足り、それ以上に後者の爆発がいかなる機序や原因で起こったのかという点まで、一点の疑義も許さない自然科学的な証明によって確定することは必要ではなく、訴訟上の因果関係の立証、すなわち特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を証明すれば足りるのである。

三  被控訴人の責任について

1 本件実験は、前記のとおり電気雷管を用いて二次爆薬であるペンスリットを添装した爆縮セットを爆発させるという手法により行われ、もともと危険性の極めて高い火薬類を使用した爆発実験であるため、万一暴発した場合には重大な結果を招くことが容易に予想されていた。そして、このような火薬類については、その製造、販売、貯蔵、運搬、消費その他の取扱を規制することにより、火薬類による災害を防止し、公共の安全を確保することを目的として火薬類取締法を初めとする法規が定められており、本件実験が火薬類を取扱う以上、中川教授らにおいてもこれに則って安全を確保すべき義務があったことは当然である。けだし、大学における研究であっても、火薬類を取扱う以上、公共の安全を確保する必要があることには変りはない。被控訴人は大学における学問の自由を強調し、安全確保も研究者の裁量に委ねられるべきである旨の主張をするけれども、少なくとも本件においては、この法規に従って安全確保の措置を講ずることにより、本件実験に関する学問の自由がどのように阻害されるかについて、具体的な主張がないのみならず、本件証拠上もそのような危惧のあることを窺う事情は認められないので、右主張は理由がない。

2 ところで、乙第一号証の二、乙第九号証、原審証人中川康昭(第一、第二回)、同後藤恒昭の各証言によれば、次の事実が認められる。中川教授、淳らは、旭化成株式会社の研究員らと共同で、本件実験を効率良くかつ安全に進めるため新しい電気雷管を開発した。この雷管の特徴は、本来二次爆薬であるペンスリットを起爆薬として用い、二KV以上の高電圧により電橋を切断し、その結果発生する放電によりこれを起爆させるという構造であった。これにより、本件実験に用いる八本の電気雷管を用いた円筒型爆縮セットの場合においても、各雷管の爆発時間の差が生ぜずに均一かつタイミング良く磁場を濃縮することができるし、しかも二KV以上の高電圧が印加されない限り爆発しないために、この点にのみ注意を払えば爆発することはなく、安全が十分確保できるということにあった。このような電気雷管の特性に応じて、中川研究グループは本件実験に際し、第四の一6で認定したとおりの手順を予定していた。この手順上、最も重視していたのは、第一に、安全短絡スイッチを短絡側にしておくことであり、第二に、結線しない限り爆発しないとの前提に立ち、爆発直前に安全短絡スイッチが短絡側にあることを確認した上で起爆担当者自ら結線するという二点にあった。

しかしながら、当審鑑定結果及び甲第九九号証によれば、この電気雷管の場合には、起爆電源としては高電圧が必要であり、高電圧があれば火花放電が発生する可能性があること、殊に高電圧の静電気が電気雷管の電橋部と管体間で火花放電をすることによって、不慮の爆発が起こる可能性があること、そのことは火薬類を専門に扱う技術者にとっては本件事故当時既に文献等で発表された事故例により良く知られていたことが認められる。また、甲第四号証、乙第一号証の二、原審証人中川康昭(第一、第二回)、原審検証の結果によれば、爆縮セットの電気雷管脚線は、長さ約四、五十センチメートルで垂れ下がっているのに対して、その真下に起爆用ケーブルが約一〇センチメートル立ち上がっているという状態下において、淳が右爆縮セットを動かしながら位置を調整するという作業を行っていたため、この二本のコードが偶然に接触する可能性があることが認められる。

したがって、本件実験を真に安全なものとするのには、結線をどの時点でするかの手順を定め、これを守るだけでは十分ではなく、何よりも、起爆電源となり得る電気的条件を起爆直前までは必ず遮断しておくことが必要であり、これが最も基本的で、しかも遵守することの容易な方法なのである。右遮断とは、具体的には第一に、電気雷管起爆装置とコンデンサー充電の各電源スイッチをいずれもオフにし、また充電電圧のスライダックを下げてこれをゼロとし、第二に、安全短絡スイッチをオンつまり短絡側にしておくことである。

既に触れた中川研究グループの実験手順においても、起爆直後に各電源スイッチをオフにし、安全短絡スイッチをオン(短絡側)にすると定め、次に各電源スイッチをオンにし、安全短絡スイッチをオフ(起爆側)にするのは、爆発直前に観測室に全員が集合したのを確認した後のことと定められているから、結局はその趣旨は同じである。また、甲第一二号証の一、二によれば、中川研究グループの一員として従来から共同研究を行い、当時ソビエト連邦共和国に留学中であった庄野安彦東北大学助教授は、控訴人中井俊一から本件事故に関する事情の説明を求められ、これに対して書簡で次のように回答したことが認められる。すなわち、本件事故について、同助教授の受けた報告では、当日午前最後の起爆後に、起爆電源のコンデンサーを放電して電圧をゼロとすることや安全短絡スイッチを短絡側に切換えることを忘れてしまい、しかも午後の実験再開の際もこれら起爆電源回路の安全を確認しないまま実験セットの調整に入ってしまったことと、結線は最後に総ての調整完了後に行うことが鉄則であったにも拘らず、錯覚からか位置調整前に接続してしまったことが事故の原因であるとされているというのである。

3 本件事故の原因は既に判断したとおり、淳が未だ結線していないのに、偶然接触等によりこれと同じような状態が作出されて、爆発に至ったことにあるのであるが、そもそも結線以外の爆発条件が全部整っていたことこそ問題とすべきである。なぜなら、基本の手順どおりに実行されていれば、爆発条件のうち少なくとも①と③は、遮断され、整うことはないから、それだけで本件爆発は極めて容易に回避できたのである。すなわち、本件爆発に至る経緯で認定したとおり、中川研究グループは、前の実験で起爆した後、電気雷管起爆装置の電源スイッチと充電スイッチをいずれもオフにし、安全短絡スイッチを短絡側にする(以下この一連の操作を「起爆後の安全操作」という)と定めておきながら、本件爆発当日の午前中行われた平板型爆縮セットによる磁場濃縮実験においてこの手順どおりの措置を全くなさず、そのため右実験による起爆後もそのまま爆発直前の状態である電気雷管起爆装置の電源スイッチと充電スイッチをいずれもオンとし、安全短絡スイッチを起爆側にしていたのである。この結果、本来遮断しておかなければならなかった爆発条件のうち①と③が整ったままの状態でこれを放置し、昼食を挟んでこのことを確認することなく本件実験を開始したのである。このような事態を招いた直接的な原因は、原審証人中川康昭(第一、第二回)の証言から認められるように、四名による共同実験でありながら、起爆後の安全操作について担当者を定めておらず、当日午前の本件実験前に行われた平板型爆縮セットによる磁場濃縮実験の際にも起爆後の安全操作がされなかったという事実の外に、当日午後の本件実験に先立って右の確認をしなかったことにあると思われる。

現に、甲第三号証によって認められるとおり、事故調査委員会の行った本件事故の原因の調査結果である乙第一号証の二の報告を受けて、道川実験所安全対策委員会は、昭和五一年八月、今後の安全対策につき他の提言案とともに本件実験の手順につき、仕事の分担者とその権限及び責任を明確にし、起爆実験を終えた後にも、爆発室内の作業を開始前にも、コンデンサーの放電、電気雷管起爆装置の主電源スイッチ及びコンデンサー充電電源のオフ、安全短絡スイッチの短絡側になっていることの確認をして、これを厳守させることを一つの内容とする提言案を作成しているのである。

4 以上の検討によれば、爆発条件のうち①と③が整うことを未然に防止すれば、本件事故は極めて容易にこれを防止することができたことが明らかである。具体的にいえば、中川研究グループにおいて定めていた手順によっても、本件実験の直前に行われた平板型実験において、起爆直後に起爆電源スイッチ及び充電スイッチをオフにし、安全短絡スイッチをオン(短絡側)にすべきであったのであるから、この手順どおり行われていれば、本件事故を回避するに十分な安全確保ができたのである。しかるに、前掲甲第一二号証の二、原審証人後藤恒昭、同中川康昭(第一、第二回)、当審証人庄野安彦の各証言及び弁論の全趣旨によれば、中川研究グループにおいては爆発室の新築の前後を通じてこの手順が明文化されていたわけではなく、したがって本件実験も従来の手順と同じ様に進めるという前提で実験作業が開始されていたにすぎず、そのため、各自の役割分担も明確に指示されておらず、特に起爆後の安全操作についてはその担当者が定められていなかったこと、しかも爆発室の完成により従来野外で行っていた起爆までの作業が爆発室で行われることになったが、観測室からも爆発室内での作業の様子が観測室の窓を通してしか確認できず、爆発室からは観測室の状況が非常に把握しにくい状態になっていたことが認められる。

一方、本件事故後とはいえ、事故調査委員会がした提言のうち、少なくとも前記の措置、つまり起爆後の安全操作を必ず実行するともに、爆発室入室前にもう一度この操作が完了した状態にあること、すなわち、起爆電源スイッチ及び充電スイッチがオフ、充電電圧がゼロ、かつ安全短絡スイッチが短絡側になることを確認することは、本件実験においていずれも容易に実行でき、そのことにより本件事故が回避できたことが明らかであるから、中川教授ら実験従事者においてこれらの措置をとるべきであったのである。

このように、本件実験に従事した者のうち補助的単純作業に当った本多を除く中川教授、後藤助手、淳のうち誰か一人でもこの方策を実行していさえすれば本件爆発には至らなかったのは明らかである。

ところで、甲第六一ないし第六三号証、第六四号証の一、二、乙第一号証の二、原審証人後藤恒昭、同中川康昭(第一、第二回)、同鈴木進の各証言及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

中川教授は本件実験を遂行してきた中川研究グループを主宰する教授であり、本件実験所長を兼ねている。一方、後藤助手は昭和四六年五月一日から、淳は昭和四七年四月一日から、いずれも公募により東北大学金属材料研究所の助手に採用され、原判決別紙五のとおり中川研究グループの行う実験に従事してきた。中川教授は昭和四七年に文部省に対する概算要求の原案策定に関与し、予算措置を得て本件実験所を設置した。かかる立場にあった中川教授は本件実験全般について、予算原案の作成やその執行、施設管理、安全管理を総括し、かつ実験テーマ、日程、参加者の決定を行ってきた。さらに本件実験は火薬類を取扱うところ、中川研究グループにおいては今回の実験従事者のうち中川教授と後藤助手が火薬類取扱保安責任者免許を所持しているにすぎず、そのため県知事に対する火薬類消費計画の届出においても中川教授をその正規保安責任者にしているのである。また、学校教育法第五八条一項には、大学には学長、教授、助教授、助手及び事務職員を置く、同条五項には教授は学生を教授しその研究を指導し、又は研究に従事する、同条六項には助教授は教授の職務を助ける、同条七項には助手は教授又は助教授の職務を助けるとの各規定がある。そして、同法五九条により置かれている教授会が重要な事項を審議し、その中には助手に対する人事初め本件実験の安全対策などをもその対象とし得るものである。

右指摘の中川教授の権限や地位に鑑みると、中川教授には本件実験の主宰者として、前に指摘した後続実験での事故を回避するためにこれに先行して実施された起爆実験後の安全操作等の措置が確実に遵守されるように各措置の責任者・担当者を指定又は指名し、後続実験にとりかかる前にも、自ら右遵守状況を確認した上で、もしそれが履行されていないときは前記各スイッチについて安全操作をなし、或いは各担当者をして同様のことをさせるべき義務があったことが明らかである。殊に本件実験の当日は、夜遅くまで実験をした疲労のため、各担当者の注意力が散漫になっていることが懸念される状況にあったほか、天候も悪く、実験の条件としては必ずしも十分でなかったので、一層このことが要請されていた。それにも拘らず中川教授がこれを怠り、その結果本件事故を招いたものというべきである。してみると、中川教授は本件事故の発生について過失があったというべきである。

ところで、本件実験は右のような大学における研究活動として行われていたし、公の営造物である本件実験所を利用し、その費用も全額予算措置も経て国の負担とされており、かつ中川教授初め後藤助手と淳に対しても大学院の指導担当者としての手当が毎月支払われ、現に今回の実験に本多大学院生も参加していたことなどに照らすと、大学院生に対する教育活動の一環や大学生に対する将来の教育活動に備えての研究という一面も有することも否定できず、純粋の私経済的な行政活動とは異なるものがあるというべきである。してみれば、被控訴人は本件事故により淳が被った損害につき国家賠償法一条一項に基づく責任を負担すべきである。もっとも、本件実験については、これが私経済的作用であって国家賠償法の適用がないと解する向きもあると思われるが、そのように解するとしても、中川教授が被控訴人の被用者に該ることは明らかであるから民法七一五条が適用され、いずれにしても被控訴人は本件事故の賠償責任を負うのである。

してみると、その余の点、すなわち被控訴人に安全配慮義務違反があったか否かについては、もはや判断するまでもないことが明らかである。

四  損害

1  葬儀費用

甲第二五号証、第二六号証の一、二、第二七号証、第二八号証の一、二、第二九号証の一ないし四、原審における控訴人中井俊一本人尋問の結果によれば、控訴人中井あいは淳の死亡に伴い、その葬儀関係諸費用として、葬儀社支払分二七万〇九〇〇円、仏具代一六万二〇〇〇円、写真代八〇〇〇円、死亡新聞広告代四万八〇〇〇円、墓石代一六〇万円、右合計二〇八万八九〇〇円を支出したことが認められる。このうち、淳の年齢、社会的地位等の諸事情に鑑みると、本件の損害としての葬儀関係費用は五〇万円が相当である。

2  死亡による逸失利益

原判決第二の一4(二)(1)の事実は当事者間に争いがない。

甲第一三号証の一ないし一一、原審証人中川康昭、当審証人庄野安彦の証言、原審における控訴人中井俊一本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、淳が有能な研究者として既に相当な業績を挙げていたことは衆目の一致するところであるから、本件事故がなければ控訴人ら主張のとおり、少なくとも平均的、標準的な昇進経過をたどって、助手として採用されてから一三年を経た昭和六〇年四月に東北大学等の国立大学の助教授に、次いでそれから一〇年を経た平成八年四月に同教授にそれぞれ昇任することが単なる期待以上の確度で実現し、かつ別紙七の逸失利益算定表のとおり年ごとの昇給をしたものと認めることが可能であり、これを左右するだけの証拠はない。また弁論の全趣旨によれば、淳は六三歳で定年退職したのち、六七歳までは就労可能であり、その見込み収入は少なくとも退職時の年間収入額の七〇パーセントを上回るものと認められる。そこで、これを前提として求めた各年間賃金総額につき、ライプニッツ方式により求めた本件事故当時の現価は、別紙七の逸失利益計算表のとおりであり、その賃金分は四七七三万一一三一円であり、退職手当分は三六九万〇二二〇円である。したがって、その合計は五一四二万一三五一円である。

なお、控訴人らは、この他に平成二三年四月以降、淳が平成四年簡易生命表による平均余命により平成三三年三月まで生存するとして、退職年金についても逸失利益として主張している。しかし、退職年金については受給者の生活費を賄うことが本旨であって、それ以上に生活費を控除した残額を予定できるのか、将来の年金制度の在り方や給付率の変動が見込まれることも鑑みると、控訴人らの主張の如く逸失利益が確実に見込まれるとは認め難く、この主張を採用することはできない。

3  慰藉料

淳の年齢、将来性の豊かな研究者として有為な人材であったことや本件事故の態様など、本件に顕われた一切の事情を斟酌すると、淳の受けた精神的損害を慰藉する金額としては、本件事故のあった昭和五〇年四月一日の時点において或程度の幅をもちながらも一応の基準とされていたところに従って、これを一〇〇〇万円とするのが相当である。

五  過失相殺

本件経緯で認定したとおり、淳は本件実験のために円筒型爆縮セットを製作し、中川教授とともに今回の実験目的である爆発を用いた極強磁場下のゼーマン効果の磁気分光学的研究を自らの専門テーマとして研究してきた。ちなみに、甲第一一号証、乙第七ないし第一〇号証によれば、淳は本件電気雷管の開発にも参加しているほか、ゼーマン効果測定に用いた分光流し撮りカメラについては、その中心となって研究し試作してきており、研究者としての専門的能力に関しては中川教授に比しても遜色のないものであったことが認められる。しかも、淳は当日午前中実施された平板型実験に際し、その起爆操作つまり起爆電源スイッチと充電電源スイッチをオンにし、安全短絡スイッチを起爆側とする作業を行い、昼食後自らの判断で本件実験の作業を開始し、爆発室内に入室した。先に三で判示したとおり、本研究グループの主宰者である中川教授に義務を尽くさなかった責任があるのであるが、そのもとで実験に従事する各担当者としても、本件実験が危険を孕んだものであることは十分承知し、かつ、実験手順に習熟していたのであるから、安全確保を他人任せにせずに、自らなし得る限りはわが身の安全は自分で守るようにすべきであったのに、淳は自らの手で容易になし得る筈の安全操作をしなかったのである。

してみると、本件事故につき淳にも相当程度の過失があったというべきであり、その過失の割合は、前記の中川教授との地位や経験等に照らして、四割とみるのが相当である。

六  相続及び損益相殺関係

過失相殺をした後の前記四の各金額は、次のとおりである。

1  葬儀関係 三〇万円

2  逸失利益

三〇八五万二八一〇円

3  慰藉料 六〇〇万円

そして、淳の右逸失利益と慰藉料については、控訴人中井あいと中井隆治が各二分の一づつ相続し、右隆治の死亡により昭和五五年法五一号による改正前の法定相続分のとおりその三分の一を控訴人中井あいが、残り三分の二をその他の控訴人らが平等に相続した。さらに、控訴人中井あいにつき葬儀関係の損害を加え、その後損益相殺をすると、次のとおりである。

1  控訴人中井あいにつき

葬儀関係 三〇万円

逸失利益 二〇五六万八五四〇円

慰藉料 四〇〇万円

右合計 二四八六万八五四〇円

しかるに、中井あいは前記控訴人の主張4(四)のとおり被控訴人から合計三二三〇万〇三四九円を受領したことは、当事者間に争いがないので、同人にかかる損害は既に遺族補償年金等により受領した金額を上回らないことが明らかであるから、請求する余地がない。

2  控訴人中井淑子、同中井俊一、同中井隆子各一人づつにつき

逸失利益 三四二万八〇九〇円

慰藉料 六六万六六六六円

右合計 四〇九万四七五六円

七  弁護士費用

控訴人中井淑子、同中井俊一、同中井隆子が弁護士である控訴人ら訴訟代理人に本件訴訟の追行を委任したことは、記録上明らかであり、本件訴訟の経過、難易度、原審及び当審における訴訟活動等に照らし、本件事故と相当因果関係のある損害として、被控訴人に負担させるべき弁護士費用は、右各人につき一人当たり五〇万円が相当である。

第五  結論

以上の説示によれば、被控訴人は本件事故による損害賠償として控訴人中井淑子、同中井俊一、同中井隆子に対し、それぞれ四五九万四七五六円及びこれに対する本件事故の後であることが明らかな昭和五〇年四月一日から各完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。

よって、控訴人中井あいの本訴請求を理由なしとして棄却した原判決は結局相当であるから、その控訴は棄却すべきであるが、控訴人中井淑子、同中井俊一、同中井隆子の本訴請求は、いずれも右認容の限度で正当として認容し、その余は失当として棄却すべきであるから、右三名の請求全部を棄却した原判決を右の内容に変更することとし、なお、仮執行免脱の宣言は相当でないので、これを付さないことにし、控訴人中井あいにつき民訴法九五条、八九条を、同控訴人以外の控訴人らにつき民訴法九六条、九二条、一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官小林啓二 裁判官及川憲夫 裁判官小島浩)

別紙<省略>

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